- 第18回 -著者 小西 浩文


「95年 秋 カンチェンジュンガ 8586」

 午後11時 起床時間である。 熟睡は出来なかったが、身体は休まった。ガスランプを付けて、シュラフから出る。テントの中は凍っていて決して快適とは言えない。
 しかし、眼の前の作業に集中していて何も感じない。水戻しモチを作って少し食べる。午前1時出発の予定がガスコンロの不調などで2時になる。だが、そんなに焦りは感じない。真っ暗な外にヘッドランプを点けて出る。少し、曇っているが意外な程、暖かい。気持ちが高揚するのを抑えきれない。戸高がトップで出発する。前々日に降った雪の為に膝位のラッセルとなる。フィックスロープを掘り出しながら進むが、雪崩が怖い。「雪の状態どうだ。」私の問いかけに戸高が答える。「慎重に行けば大丈夫。」
 黙々と登り続ける。トップを棚橋に交代する。少しづつ明るくなってくる。 「小西、8200mのキャンプサイトだよ。」戸高が言う。「此処かあー。」進行方向左手に、非常に狭い雪のテラスがある。登山隊によっては、此処を最終キャンプとすることもある。
 「良いペースで来てるなー。」自分たちのペースに満足する。しばらく登ったところで、松原が少し遅れだす。「大丈夫か?」私の問いかけに、「足が冷たくて、冷たくて。靴脱いでマッサージしてもいいですか?」松原はアイゼンを外して、オーバーシューズを脱ごうとするが、途中であきらめる。それもそのはず、ここでは、不可能に近い動作である。暫くその場で足ふみをして、少しでも血流を良くしようとしている。「そろそろ行けます。」松原が待っている私達3人を気遣ってか登りだす。

 フィックスロープはとっくに終わっていて、ノーロープで登っていたが、傾斜が次第にきつくなってくる。棚橋と私、戸高と松原で、それぞれ50mロープで結び合い、同時に登りだす。ルートは、クーロワール(岩溝状)に入っていく。クーロワールは、主稜線のコル(鞍部)に突き上げている。コルは、8350mだが、まだまだ距離があるように見える。陽が出て暖かくなってくるが、眠気も出てくる。全員何もしゃべらずに登り続けているが、スピードが落ちだしてくる。最後尾の松原は、上から見るとほとんど四つんばいの様になって登っている。クーロワールが次第に狭くなり、ところどころ氷の部分も出てくる。明らかに、全員疲労と眠気でスピードが落ち、一旦休憩する。

「ハチゴー(8500m)の無酸素は、突っ込まなければ登れない!」
 出発以来、トランシーバーは、オープンしていなかったのでベースキャンプと交信する。
 「ベースキャンプ、どうぞ。」「バラサーブ! どうですか? ベースは、ずっと望鏡で見ていたらしくすぐ応答する。「いやー、上のコルまでベースからだとあとどれぐらいに見える?」「バラサーブ、今のペースだと、あと1時間ぐらいです!」「ここからだと、もう少しかかりそうに見えるが。」「バラサーブ、そんな事はないです。そんなに遠くはないです。」 「わかった。コルに着いたら、また連絡するよ。」「バラサーブッ、頑張って。」 交信で元気を得て、再び登りだす。どうやら、眠気も覚めてきた。傾斜もきついので、気が抜けない。コルが近くなってくる。午前11時すぎ、コルに到着する。松原が、遅れている。コルに若干の装備をデポする。明るいうちになんとしても此処に戻ってきたい。あと、このペースだと3時間はかかるだろう。松原が到着するが、かなり疲労が激しい。「松原、行けるか?」「行きます」「あと3時間ぐらいだな、どうだ」 
 私の問いかけに棚橋が言う。「ハチゴー(8500m)の無酸素は、突っ込まなければ登れませんよ。」「行くか!」 私は言って、再び棚橋と私、戸高と松原でロープを組んで登りだす。コルからは、稜線の北壁側をトラバースしていく。稜線から見ると、北壁側の方が傾斜がゆるい。雪と氷と岩の世界一高い稜線を登っていく。

「下りたいです」
 背後にヤルンカン(8505m)がそびえだす。流石に気持ちは、また高揚してきて、息切れはしているものの、気分はきわめて良くなってくる。稜線の傾斜がかなり強くなり、全員、息切れしながら休みつつ登る。ここにきて松原のペースが極度に落ちだした。もう、8400mを超えているだろう。松原はロープを組んでいる戸高のスピードに、全くついていけなくなっていた。「戸高さん、難しいところではないからロープを外して、自分のペースで登っていいですか。」 松原の言葉に戸高は、「この上の少し安定しているところまで行こう。」と言う。少し登って、戸高が私に言う。「松っちゃん、もうダメだな。」まあ、上まで行こうや。」美しく大きな花崗岩の手前の、ちょっと安定している場所で立ち止まる。
 現在、午後1時すぎである。私の計算ではなんとかぎりぎり登頂できる。しかし、松原の疲労は激しかった。私も戸高も、もう松原は登るのは無理と見ていた。松原が登ってきた。 「どうする?登れるか。」私の問いに暫くして松原が言った。「下りたいです。」



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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000