− 第9回 −著者 小西 浩文


歩き方、ちょっとした動作で、身体能力が分かる
 ひたすら、ひたすら、ゆっくりと上がって行く。風が吹いているなか、西田さんの呼吸をはかる。西田さんのスタンスを頭の中に叩き込んで、決して、無理なステップでは上がらない。使う筋肉以外は、休ませながら、登る。殆どの人達が、日常の動作でも、使わなくてもいい筋肉に力を入れている。
 例えば、食事の時、箸を持つ場合でも、必要以上に力んでいる場合がある。電車の吊り革を持つ場合でも、また、歩く時でも然り。こういう身体の動きは、*丹田呼吸と同様、しょっちゅう気を遣っていないと、身には付かない。いつの頃からか、私には、その人の歩き方、ちょっとした動作で、身体能力が分かる様になってきた。これは殆どの場合、生まれ持った素質が、極めて大きなウエイトを占める。

呼吸は、吐くことのみに集中する
 もし、身ごなしが硬い場合には、心身の鍛錬を続けていくうちに克服せねばならないものと、私は思っている。西田さんは、役者だけあって、身体の使い方は完全に身についていた。呼吸法については、吐くことのみに集中してくださいと教えていた。きちんと吐けば、自然に呼吸は出来る。その呼吸も、必ず、登り降りのステップのペースに合わせる。  
 ステップと呼吸がバラバラになれば、それだけ早くバテてしまう。呼吸に集中して、登ることに集中していれば、時々、無念無想の境地に入ることがある。比叡山の千日回峰行をはじめとした、日本の密教等の修行が、山をひたすら歩くのみという形態をとっていることも、うなずけるものがある。しかし、高い山を登る場合には、なかなかそこまで歩くことのみに集中することが出来ない。何故か、それは、外的危険が多過ぎるからである。
 ヒマラヤの高峰であれば、雪崩、落石、クレバス(氷河の割れ目)、雪庇の崩壊等、そして転落やスリップなど。アコンカグアでは高度障害に加えて、凍傷、スリップ、落石などの危険があった。こういう危険を見分けたり、対処するのは視床下部である。密教、ラマ教などでは<第三の眼>と言われている箇所である。この視床下部が鈍っていたり、混乱していると、危険を感知したり、回避することは出来なくなる、と言ってもよい。

宮本武蔵は視床下部が発達していた
 昔の剣豪、例えば上泉伊勢守信網、柳生石舟斎、宮本武蔵など、殆ど怪我をせずに、幾多の真剣勝負を勝ち抜いて、生き抜いた人達は、極度に視床下部が発達していたのであろうと、私は思っている。兵法の教えに「観の眼つよく、見の眼よわく」という言葉がある。これは、心の眼ではしっかり観て、実際の眼で見えるものには決してこだわらず、という教えである。この場合の「観の眼」というのが視床下部のことであると、私は、考えている。非常に高い山を登る場合に、この視床下部が、極めて、重要になってくることは言うまでもない。これは、持って生まれたものに加えて、生死のかかった真剣勝負の経験が重要になってくる。

「小西っ、生命は、預けるぜっ」と西田さんが言った
 あと、もう一つ、兵法の教えに「武の極意」というのがある。これは、「武の極意は、経験にあり。よって経験することを恐るべからず」という教えである。これは、極限を追求する山登りにも、極意となる教えである。しかし、この教えには、実は大問題がある。それは経験を積んでいくうちに、その過程で、死んだり、怪我をする可能性が、極めて高いということである。しかし、生きるか死ぬかの経験を、幾多も乗り越えないと、本物にはなれない。ここにやり直しのきかない、生死のかかった真剣勝負の厳しさ、難しさが、あった。今回のアコンカグアで、西田さんが、ベースキャンプで出発時に言った言葉がある。それは、「小西っ、生命は、預けるぜっ」という言葉だった。
 私は、登りながら、西田さんを含めた、全員のコンディション、そして、アコンカグアのコンディションを、「観の眼」で、読み取ろうとしていた。

※注 丹田 下腹のこと


■バックナンバー
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(1)
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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季〜標高3,000。の世界」出演
TVCF出演:クライアント「日栄」
NHK山岳カメラマン研修講師 (92/93/94/99年)
インターナショナルトレーディングコーポレーション(GTホーキンス)イメージキャラクター契約
三井物産スポーツ(マーモット)アドバイザー契約
1999年 三井物産スポーツ(マーモット)アドバイザー契約
2000年 テレビ朝日「ネイチャリングスペシャル 西田敏行 米大陸最高峰 アコンカグアに挑む」登山コーディネート及び出演
シリオ株式会社 アドバイザー契約
イワタニ・プリムス株式会社 アドバイザー契約
■海外登山歴
年度国/地域山名標高記録
1982パミールコルジェネフスカヤ7105m登頂
 パミールコミュニズム7495m登頂(連続)
 中国シシャパンマ8012m無酸素登頂
1984パキスタンナンガバルバット8125mディアミール壁7600m到達
1985アメリカマッキンリー6194m登頂
1986ケニアケニア山 5199mダイヤモンドクロワール登頂
 タンザニアキリマンジャロ5895mヘイムグレイシャー登頂(日本人初)
1987ネパールピサンピーク6091m冬季単独登頂
 パミールレーニン峰7134m登頂
 ネパールダンプピーク6012m単独登頂
1989旧ソ連ハンテングリ7010m登頂(日本人初)
1991パキスタンブロードピーク8015m無酸素登頂
1992パキスタンガッシャーブルーム1峰8068m7300m到達
1993パキスタンガッシャーブルーム2峰8035m無酸素登頂
1994パキスタンK28611m7200m到達
1995中国チョーオーユー8201m無酸素登頂(7000mから9時間で登頂)
 ネパールカンチェンジュンガ8586m無酸素登攀8400m到達
1996ネパールエベレスト南東稜8848m無酸素登攀7500m到達
1997ネパールダウラギリ1峰8167m無酸素登頂
 パキスタンガッシャーブルーム1峰8068m無酸素登頂(BC建設後1週間で登頂)
1998ネパールアマダブラム6812m登頂(ガイドとして)BC建設後5日間で登頂
1999ネパールパルチャモ6280m冬季登頂(ガイドとして)
2000ネパールメラピーク6450m登頂
2002ネパールマナスル8163m無酸素登攀7700m到達
8000m峰無酸素登頂
☆6座の無酸素登頂は日本人最高