- 第2回 -著者 小西 浩文


「身体はおおよそ標高6500mで、無酸素でいるのと同じ状態」

 この地球上には、8000m以上の山は14座ある。もう少し厳密にいえば、ヒマラヤ山脈のネパール、中国領チベット、インド、パキスタン。これら4カ国にのみ存在している。
 この8000m峰の頂上あたりの気象条件は、東京や大阪辺りの気象条件と比べると、酸素濃度が3分の1、気圧も3分の1、気温は季節によるが、一般的登山シーズンとされる春・夏・秋で、氷点下15℃~35℃である。さらにこれらに風が加わる。秒速10メートルから45メートル程の風がほぼ常時吹いている。国内線の飛行機が安定飛行で飛んでいる高度と考えていいだろう。

 8000m峰に登ろうと考える登山家にとって最大の障害となるのが<低酸素>と<低気圧>である。通常これら大障害を克服する為に酸素ボンベが使用され、頂上にアタックをかける時、毎分2~4リッターの酸素を吸うが、8000mの頂上付近で毎分2リッターの酸素を吸うと、身体はおおよそ標高6500mで、無酸素でいるのと同じ状態になる。これを毎分3リッター、4リッターと吸えば身体の状態はもっと低い高度 - すなわち6000m~5800mという状況に無酸素でいることになる。

「酸素ボンベを使わず、天から与えられた己の心臓と肺だけで登りたい」

 世界中から8000m峰を目指す登山家がヒマラヤに来て、彼らの9割以上が酸素を使用(有酸素)して登山活動を行うが、私は1982年、20歳の時に8000m峰に行ってから、一貫して酸素ボンベを使用せず、無酸素で登り続けている。これは何故かというと、天から与えられた己の心臓と肺だけで登りたいということ。それと酸素ボンベを使用すると8000m峰を登っても実際は、6000m峰を登ったのと変わらないのではないか、という私の考えと思いがあるからだ。私は山がどんなに高くとも、厳しくとも、己の心身のみで登るのがベストと確信している。しかし、言うは易く行うは難し。
 実際に8000m峰を無酸素で登るのは危険極まりない。これは無酸素で登頂した登山家と有酸素で登頂した登山家の登頂率、生還率にかなりの差があるという現実が物語っている。

「自分にもっとも合ったやり方で登りたい」

 私は他の登山家が、酸素ボンベを使用することは、至極尤もだと思うし、一切否定しない。しかし、私は初めてヒマラヤに行く以前、ヒマラヤを志した16歳の頃から自分は無酸素で行くべき - それが自分にもっとも合ったやり方、スタイルだと確信していた。
 それは20年間で16、7回8000m峰にでかけ、そのうちの6座を無酸素で登り、その間、先輩、同輩、後輩、そして友人を45名以上、山で亡くした現在でも、いささか揺るんでいない。
 彼らの死が、私を当時よりはるかに強くした。

 今春、マナスル(8163m)から帰国後の7月、私は、妻を脳の動脈瘤破裂による蜘蛛膜下出血で亡くした。「・・いまという時は、なかりけり。・まの時、来れば・いの時は、去る」 - この禅の古歌を胸の内で詠みながら、亡き妻の御魂と共に、この生命ある限り、私は登り続ける。



■バックナンバー
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(1)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(2)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(3)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(4)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(5)
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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(17)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(18)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000