− 第15回 −著者 小西 浩文


トラブル発生
 眼下にダブレジュンの草原が広がる。100名近いポーター達が集まっている。三回、旋回してヘリは無事着陸した。
 ここからカンチェンジュンガB・Cまで3週間近くかかるキャラバンとなる。
 トラブルが起きたのは出発してから、数日目のことだった。1人30kgの荷物を背負うポーター達がどうしても足りず、2人分60kgを一人でかついだ、ポーター達が20人ほどいたのだが、当然遅れがちになる。
 毎日の宿泊予定地までたどり着かない可能性があるので、サーダーのロブサンに何回も「大丈夫か、必ず最後尾から遅れているポーターをフォローしてきてくれ」と言っていた。
 ロブサンは、全く平然と「心配するな、俺にまかせろ」と言っていたのだが、ある日遅れがちのポーターを放っておいて、自分だけ先にキャンプ地に到着してしまった。その日の行程は長く、20人ほどのポーターは、結局キャンプ地まで来れなかった。

訳のわからない言い訳
 翌日、昼前に、そのポーター達は無事到着したが、結局その日は、同じ場所で宿泊となった。もちろん、前日に到着していたポーター達にも1日分の日当を支払わなければならない。これには、隊員たちもかなり怒りだした。
 こういう時、ネパール語で話すとネパール人は素直に謝らず、訳のわからない言い訳を言うことがある。ロブサンとの会話は英語で押し通す。隊員の中で最も流暢な英語を話す棚橋が言う。「何でお前は、昨日ポーターの最後尾につかず、自分だけ先にきたんだっ!」 「いや、全員ちゃんと到着すると思っていたんで」「お前は、ちゃんと俺達に、何の問題もないと平然と言っていただろう。お前のサーダーとしての責任は、どこにあるんだっ!」 「明日からは大丈夫だっ」「明日からの話をしているんじゃないっ。今日このムダな損害はお前どうするんだっ」 
 トレッキングガイドをしている棚橋は、きつい調子でガンガンやる。とうとうロブサンは自分のテントの中に引きこもってしまった。昼食の時間になっても出て来ない。「何やってんだ、オイッ」と、呼びかけるが、テントの中で膝をかかえたままうずくまっている。隊員誰も、もう声をかけず昼食をとる。

ヒルのジャングルを歩く
 さすがに翌日からは、終始、最後尾で歩くようになった。連日、雨のジャングルを歩く。場所によっては、ヒルがうじゃうじゃいる。時に木の上から人間の体温を察知して落ちてくる。夜、雨の中、雨具を着てテントに入ると、いっぱいヒルがついている。
 私と一緒のテントになった松原は、気が狂ったようになって、ライターの火でヒルを退治する。私は、あまり気にせずに寝たが、翌日、あちこちに血がついていた。
 だんだん高度が上がってくるとヒルもいなくなる。途中、順応高度をしながら、5500mのべースキャンプに到着したのは、出発して20日目のことであった。

世界屈指のヒマラヤンクライマーが勢ぞろい
 この秋のカンチェンジュンガには、すでに5隊が入山していた。その中には、8000m峰14座完登をめざす、スイス隊のエアハルト・ロレタンとフランス隊のブノワ・シャムーがいた。2人ともすでに13座を登頂している。ロレタンはすべて無酸素で登頂しており、シャムーはエベレストのみ酸素ボンベを使用していたが、残りはすべて無酸素で登頂している。この時点で14座登頂者は、イタリアのラインホルト・メスナーとポーランドの故イイジ・ククチカのみで、先にカンチに登頂した方が、史上3人目の14座完登者となる。
 ロレタンのパートナーのジャン・トロワレは8座無酸素登頂者で、シャムーのパートナーのピエール・ロワイエは、4座登頂していた。そしてイタリア隊のセルジオ・マルティーニ、彼も10座登頂している。まさしく、この年のカンチェンシジュンガには世界屈指のヒマラヤン・クライマー達が勢ぞろいしていた。



■バックナンバー
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(1)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(2)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(3)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(4)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(5)
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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(16)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(17)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(18)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季〜標高3,000。の世界」出演
TVCF出演:クライアント「日栄」
NHK山岳カメラマン研修講師 (92/93/94/99年)
インターナショナルトレーディングコーポレーション(GTホーキンス)イメージキャラクター契約
三井物産スポーツ(マーモット)アドバイザー契約
1999年 三井物産スポーツ(マーモット)アドバイザー契約
2000年 テレビ朝日「ネイチャリングスペシャル 西田敏行 米大陸最高峰 アコンカグアに挑む」登山コーディネート及び出演
シリオ株式会社 アドバイザー契約
イワタニ・プリムス株式会社 アドバイザー契約
■海外登山歴
年度国/地域山名標高記録
1982パミールコルジェネフスカヤ7105m登頂
 パミールコミュニズム7495m登頂(連続)
 中国シシャパンマ8012m無酸素登頂
1984パキスタンナンガバルバット8125mディアミール壁7600m到達
1985アメリカマッキンリー6194m登頂
1986ケニアケニア山 5199mダイヤモンドクロワール登頂
 タンザニアキリマンジャロ5895mヘイムグレイシャー登頂(日本人初)
1987ネパールピサンピーク6091m冬季単独登頂
 パミールレーニン峰7134m登頂
 ネパールダンプピーク6012m単独登頂
1989旧ソ連ハンテングリ7010m登頂(日本人初)
1991パキスタンブロードピーク8015m無酸素登頂
1992パキスタンガッシャーブルーム1峰8068m7300m到達
1993パキスタンガッシャーブルーム2峰8035m無酸素登頂
1994パキスタンK28611m7200m到達
1995中国チョーオーユー8201m無酸素登頂(7000mから9時間で登頂)
 ネパールカンチェンジュンガ8586m無酸素登攀8400m到達
1996ネパールエベレスト南東稜8848m無酸素登攀7500m到達
1997ネパールダウラギリ1峰8167m無酸素登頂
 パキスタンガッシャーブルーム1峰8068m無酸素登頂(BC建設後1週間で登頂)
1998ネパールアマダブラム6812m登頂(ガイドとして)BC建設後5日間で登頂
1999ネパールパルチャモ6280m冬季登頂(ガイドとして)
2000ネパールメラピーク6450m登頂
2002ネパールマナスル8163m無酸素登攀7700m到達
8000m峰無酸素登頂
☆6座の無酸素登頂は日本人最高