- 第16回 -著者 小西 浩文


登頂は日本人のみで
 まだ、モンスーンは明けておらず、天気は安定していない。ベースキャンプでは、メンバーは、思い思いの場所にテントを張る。プライベートを確保するために、これは、必要な事であった。降雪で、しばしば停滞を余儀なくされるが、6200m地点にC1を作り、7200mの通称、グレートシェルフと言われる、広大な雪原にC2を建設する。
 キャラバン中に、私達は、ミーティングで、頂上アタックは、日本人メンバーのみで、行うことを決定して、ロブサンとペンバに伝えていた。シェルパとして、初めて、8000m峰14座全座登頂を目指しているロブサンにとっては、悔しい事だろうが、仕方のないことであった。

 レスト日の或る日、衛星携帯電話を持っている、ブノワ・シャムーのB・Cに電話を借りに行く。東京に電話すると、主発前に妊娠していた、私の妻が、無事女の子を出産したことを聞く。母子共に、元気ということを聞いて、安心するが、この岩と氷と雪だけの世界では、全く実感が湧かない。
 9月末から、天候も、段々安定してきて、C2に入った戸高と棚橋、私は、10月5日、C2から最終キャンプである、C3(7800m)を目指した。その日は、C3を往復する予定で、高所順応が少し遅れている松原は、C1から、C2入りすることになっている。そして同じ日、スイスのロレタンとトロワレ、フランスのシャムーとロワイエ、彼等のシェルパ3名、イタリアのマルティーニは、午前2時C3をスタートして、頂上を目指した。

人間が滑り落ちてきた
 午前10時頃、私達3名は、7500m付近を登っていた。右斜め上から、音がして見ると、ザックが滑り落ちて来る。怪訝な思いで見ていると、今度は、人間が滑り落ちて来る。そして最後尾に居た私の右横40m程の所で、頭を下にして仰向けで止まる。私が駆けつけて、腕を取って脈を計ったが、既に亡くなっていた。額には大きな切り傷が、ある。後でわかったのだが、シャムー隊のシェルパである、ヒク・シェルパであった。ザックから、カメラを取り出して、写真を何枚か撮る。戸高が言う。「これから、どうする?」「今日は、C2に戻るか。」私の意見に2人共、賛成してC2に戻る。
  
 松原と合流したその日の夕方、ロレタンとトロワレが、無酸素登頂に成功して、C2に戻って来る。
 これで彼は、史上3人目の8000m峰14座全座完登者となった。しかも、全部、無酸素登頂である。彼等は残照の中、外で抱き合っている。マルティーニは、8300mで、引き返したらしいが、シャムー達が、何処に居るのかはわからなかった。 
 シャムー隊のシェルパ残り2名は、ヒク・シェルパが、滑落した後に、すぐ下山した。どうやらアタック中に休憩で、全員ザックを下ろして、その上に座った時に、ヒク・シェルパだけが、スリップして落ちて行ったという。驚くべきことに、シャムーとロワイエは、ヒク・シェルパが滑落していったのに、頂上を目指して、登って行ったという。

 翌日、私達4名全員で、C2からC3を目指す。アタック前の、最後の高度順応及び荷上げである。ここに来て全員、足が揃い出す。快晴の中、昼頃良い調子で7800mのC3に到達する。C3には、シャムー達とは別のフランス隊のサーダーである、ニマ・テンバが一人で居た。
 彼とは、旧知であったが、到着した私に彼が言う。「小西さん、シャムーとロワイエは、上で行方不明だ。」



■バックナンバー
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(1)
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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000