- 第10回 -著者 小西 浩文


「気合入れてー、頂上行くべー」~俳優 西田 敏行さんとアコンカグアへ~

残照のアコンカグアを眺めながらの夕食
 毎日、「登っては、下りて」を繰り返す。5000メートルのカナディアン・キャンプ。5500メートルのニド・デ・コンドレス。5800メートルのベルリン・キャンプ。それぞれ1~2泊しながら、上部に移動する。
 ニド・デ・コンドレスは、コンドルの巣を意味する、このキャンプサイトは、特に素晴らしい場所であった。まるで、月世界を連想させる様な、広大な場所である。環境というものは、人の心に多大な影響を及ぼすのであろう。風が無い時は、夕方、全員、外で残照のアコンカグアを眺めながら、夕食をしていたが、和気合々とした雰囲気であった。この頃には、数十人いるアルゼンチン・スタッフとも、絶妙のチームワークになっていた。

西田敏行さんの血中酸素濃度が50%に!!
 主役の西田さんは、さすがに余裕が無くなりつつあったが、何とか高所順応スケジュールをこなして、いよいよ、アタックステージに入る。ベルリン・キャンプで一夜を過ごした翌12月13日、アタック隊全員、日本人16名で最終キャンプとなる、インディペンデンシア・キャンプ(6400メートル)を目指す。スタート当初は、猛烈な強風で、前途が危ぶまれたが、じきに強風は収まりだす。もう、アンデスの山々は、全て眼下に見える。
 午後3時前、無事、インディペンデンシア・キャンプに到着。テントに落ち着いてから、西田さんの血中酸素飽和濃度を計ると、なんと50%ほどである。登山隊隊員で、平均75%ほどである。東京で、血中酸素飽和濃度が85%を切ると、病院ではICUに直行である。だが、此処は6400メートル、酸素量、気圧共に、東京の半分以下である。西田さんの数字も無理はない。早速、西田さんには、酸素を吸ってもらう。たちまち、血中酸素飽和濃度は90%以上にはね上がる。「いやあ、眼も良く見える様になったし、気持ちも前向きになってきたよっ」。西田さんの言葉に、全員爆笑する。「今迄、西田さん、暗い気分だったんですかっ」、思わず茶化してしまう。

「風、強いけどー、気合入れてー、何とか、頂上行くべー」
 今晩は西田さんに、酸素を吸って寝てもらう。翌12月14日、早朝、起きる。相変わらず、風は強い。しかし、晴れている。ゆっくりと出発準備をする。長く、厳しい日々だった。ここまで、決して、平坦な道だったわけではない。毎日、色々な問題、トラブルの連続だった。だが、全員で力を合わせて、ここまでやって来た。主役の西田さん、マネージャーの小林さん、チーフカメラマンの60歳になる山崎さん、録音の森、ディレクターの丸山、アシスタントの木村、高所カメラマンの村口さん、増山ドクター、通訳の小原マルセロ、登山隊の宇佐美、奥田、品川、中村、加藤、砂川 - そして私。この16名がアタックメンバーである。ニド・デ・コンドレスでは、TV朝日のプロデューサーの二宮さん、アシスタント・カメラマンの藤平、ベースキャンプには、ディレクターの山田さんがいる。日本人総勢19名、全員の気持ちが今日という日に集約される。 

 特にアタックメンバーには、時として、生死がかかることになる。テントの外に出て、強烈な風の中、全員の顔を見る。西田さんは、思いっきり、気合が入っている。全員、丹田にバーンと気が満ちている。出発直前、全員を集めて円陣を組み気合を入れる。
 「風、強いけどー、気合入れてー、何とか、頂上行くべー」、「エイシャー!」。
 全員の雄叫びが烈風のアコンカグアに轟いた。



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■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000