- 第5回 -著者 小西 浩文


イエティに遭遇

イエティだ!
 修行を開始して数日たったある日、夕方の座禅を終えた私は、夕食前に一度、テントに戻ろうとゴンパを出た。外でヘッドランプを点けると「ヒュイッ」という、鋭い叫び声が向かい側の斜面から響いた。
 座禅後で丹田に気が満ちていたにも関わらず、背筋に戦慄が走る。同時に横にいた番犬のチベット犬が、狂ったように吠え出した。気味の悪いのを我慢して、歩いて20秒程のテントに行く。テントの中でジャケット等を置いて外に出ると、再び「ヒュイッ」という叫び声が響いた。叫び声のする斜面にヘッドランプを向けたい誘惑にかられたが、それは、してはマズイという私の直感が押し止める。怪鳥の類か、何なのか、ゴンパに戻ると入り口からラマとシェルパが飛び出して来た。「イェティです!」ラマが言う。「鳥じゃないのか?」と、訊ねる私に彼は、「夜に鳥は鳴きません。イェティです!」と言った。
 そして再び、「ヒュイッ」という叫び声が響いた。「ヘッドランプを消して下さい!こっちへ来てしまいます!」ラマが私に言い、ヘッドランプを消すと、本堂から「ドン!ドン!ドン!」と太鼓の音が響き出した。アニが叩いているのである。しばらく激しい勢いで太鼓を叩いていたが、イェティの叫び声は、もうしなかった。

ベリー・デンジャラス・プレイス
 その夜、シェルパが真顔で、「バラサーブ(隊長)、明日、下りましょう」と言い出した。「何故?」という私の問いに彼は、「此処は危険すぎます。スペシャル・プレイスだが、ベリー・デンジャラス・プレイスです。修行をするんだったらもっと安全な場所は、いくらでもあります。襲われたらどうするんですか。アニマル・イズ・アニマル、人間ではないんだから、襲われた後で後悔しても始まりません」と言う。しかし私の考えは違った。「そういう場所だからこそ、修行を積めるんじゃないか、此処に居よう。」
 私の返事にシェルパは困惑していた。

 それから4日後の夜のこと、その日、シェルパはターメに行っていて、私とアニ、ラマの3人で夕食を終えた。静かな夜、しかし私は此の辺りに変化が起き出した事に気付いていた。チャロックに来てから、ひとつ不思議だったのが、後ろの山に登っても、動物や鳥などを全く見かけない事であった。この様なグリーン・プレイス(森や草木がある場所)で、水も豊富にあり、そして人間が居ない所に、何故、野生動物や鳥が居ないのか・・・そう思っていた矢先、今日はじめて鹿が何頭も出て来て、空には鷲が舞い出した。一週間以上、ヤクとゾッキョ(高所の牛)以外に動物を見なかったのに、いきなり動物や鳥達が出て来たのだ。どうも気持ちに引っ掛かりを持ちながら、午後6時40分頃、私は、テントに寝に行った。

テントの屋根をたたかれる
 丁度、7時頃、チベット犬が狂った様に吠え出した。ヤクか鹿が近くに居るのだろうと思っていたが、吠え声は止まない。イヤな感じがしながらも、私はシュラフの中で本を読んでいた。8時半頃には、チベット犬が首輪を外して走り廻り出した。これは、只事ではない。此処に滞在して、この様な事は初めてであった。いつもなら午後9時には寝る様にしているが、頭は冴えまくっている。
 9時半、ヘッドランプ、ガスランプを消して寝る態勢に入る。が、チベット犬が既に2時間半以上も怒号しているので、身体は疲れているが全く眠くない。10時頃、チベット犬の怒号が最高潮に達し、流石に私は起き上がった。その時いきなり、バシッ!バシッ!とテントの屋根を何物かに叩かれた。

チベット犬が怯えた
 マズイッ。同時にヘッドランプとガスランプを点ける。「テンジンッ!テンジンッ!」大声でラマを呼ぶ。もともと、何物かが来た場合、ラマを大声で呼ぶ事になっていたので、叫んでいると、3分ぐらいでラマが来た。「どうしました?」、「何物かにテントの屋根を叩かれた」、「どうします?」、「ゴンパで寝るよ。シュラフとかを持って行くから手伝ってくれ」。すぐシュラフ、マット等を持ってゴンパに行った。外は霧が非常に濃い。ゴンパの2階にシュラフを置いて、私は外に小便に出ようとした。
 「何処へ行くのですか?」ラマの問いかけに、「小便だよ。心配するな」と答え、外に出た。本当は門の外に出て小便をしなければいけないのだが、どうもイヤな気がして、門の内側で小便をした。するとチベット犬が足にまとわりついてきた。鳴きもせずひたすら足にまとわりつく。滞在中、一度もジャレつく事をしなかったチベット犬の態度の変化に私は戸惑った。
 「どうしたんだ、お前、こんなジャレついて」その時に気付くべきだった - チベット犬が怯えきって、私にまとわりついているのだという事を・・・霧は、少しなくなり、頭上の樹の向こうに半月が見えている。ヘッドランプを消したまま小便を終えた私は、ふと左手の方を見た。

そいつは横に来ていた
 既にそいつは、1メートル程、横に来ていた。
 音一つ立てずに。全身真っ黒、身長は私ぐらい。肩幅は私の1.3倍ぐらいはある。その瞬間、チベット犬は脱兎の如く逃げ去っていた。すぐ後ずさった私は、庭の中程にある、1メートル位の高さの岩につまずきかけた。我に返った私はヘッドランプを点けて、思いっ切り気合を入れた。「エイシャー! ソリャー! エイシャー!」私の気合が、ゴンパの後方の岩壁に当たって響く。すぐチベット犬がダッシュで戻って来て、門の外からターメに行く山道を走って行った。地形の関係で私には見えなかったが、イェティはそちらに逃げていったのだろう。私の気合が聞こえているにも関わらず、アニとラマは出てこなかった。犬小屋の上にあった薪を持ってゴンパに戻り、鍵をかけて玄関内側にある斧を手に2階に上がった。ラマが「どうしました」と聞く。「イェティが門の所まで来た」私の言葉にラマは黙り込んだ。それから3時間、私はシュラフの右側に斧と薪を置いて起きていた。闇の中、ラマも起きているのが感じられた。

あなたは神から選ばれた
 翌朝、私は、いつもの様に滝行をして、山に登った。昼頃、下りてくるとターメに行っていたシェルパが戻ってきていて、アニとラマと話をしていた。アニが私の顔を見ると言った「昨夜、イェティが出たんですか?」、「ええ」。4人でイェティの居た辺りの地面を探ってみたが、何も痕跡は無かった。チベット犬は死んだように寝ている。

 シェルパが言う「バラサーブ、今日中に下りましょう。5日前にイェティの叫び声を聞き、昨夜、貴方は襲われかけています。もう限界です。絶対に今日中に下りましょう。」 彼の言葉に私は頷いた。アニが言う、「貴方は、恐ろしい程、強運な人です。先ず、世界中で貴方ほど近くで、イェティに会った人間はいないでしょう。そしてそういう状況で貴方がイェティを撃退出来たという事も。貴方は本当に強運な方です。」
 シェルパが言った、「私は以前からバラサーブの事を、強運な人だと思っていました。でも今回、確信しました。貴方はやはりスペシャル・マンチェ(神から選ばれた人)だという事を。」

祈祷をたのむ
 私はアニとラマにブジャ(祈祷)をお願いした。
 今晩、10時過ぎに厄除けのブジャをしていただき、明朝、私の将来の平安の為のプジャをしていただく事にした。
 夕刻、荷物をまとめ、私とシェルパはナムチェを目指してチャロックを発った。

 あれはやはりイェティだったのだろうか。しかし私はひとつ確信している。あれは熊でも猿でも鹿でも人間でもない。スペシャル・アニマルだということを。

 1982年から20年間、8000メートル峰に登り続けてきて、病気、かすり傷ひとつしなかった私だが、今回ばかりは亡き妻が助けてくれたのではないかと、里絵の御魂にただひたすら感謝している。



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■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000