- 第14回 -著者 小西 浩文


最強のメンバーが集まった
 1995年8月下旬、カトマンドゥは、まだモンスーンは明けていない。だが、日増しに晴天が多くなる中、4人の男達が集まった。
  戸高は、7月にパキスタンのブロードピークを縦走してきている。
 棚橋は、夏の間、山岳旅行会社のガイドをして、トレッキング三昧の日々。
 松原は、春にマカルー東稜初登攀を成し遂げている。
 私は、春にチベットのチョーオユー(8021m)を無酸素登頂して、夏はパミールのレーニン峰(7134m)にガイドとして行っていたばかりだった。

 おそらく、その時点で、日本の登山界で、最も勢いにのっている登山家達と言っても過言ではない、屈指のメンバーであった。
 そして、サポートとして、2人のクライミングシェルパを雇っていた。1人は、サーダーのロブサン・ザンブー、もう一人は、ペンバ・ギャルツェン、2人共ストロングシェルパの出身地として名高い、ロールワリンの出身で、従兄弟同士であり、共に25歳である。

革ジャン、ピアスでやってきたサーダー
 ロブサンと初めて出逢ったのは、我々のエージェントである、コスモトレックの庭で、梱包作業の時であった。オートバイで現れた彼は、我々を仰天させた。ロン毛を後ろで束ねて、金の鎖の付いた黒い皮ジャン、耳にはピアス、そして爪先のとがった黒いブーツ。
 「どこの兄ちゃんだろう」そう思って見ていた私は、彼が、サーダーのロブサンと聞いて、がっかりしつつ、不安を覚えた。「こんな、軽薄そうな奴でサーダーが務まるのか?」握手をしながら、私は失望感を隠しきれなかった。
 この時の、私のがっかり振りは、他のメンバー達にもはっきりと見ていた。後で、棚橋が笑いながら言った。
 「あの、ロブサンが初めてコスモに来た時、小西さんの顔がみるみる険しくなってきて、眉間にすごいシワがよっていましたよ。」

外見と裏腹なすばらしい登山歴
 しかし、外見とは、裏腹に彼のクライミングシェルパとして実績は、素晴らしいものがあった。
 エベレスト無酸素登頂を3回、ブロードピーク無酸素登頂、チョーオユー無酸素登頂、そして、冬季の7000m峰登頂、身長は、175cmの私と同じ位か。手足が長く、しなやかな、野獣の様な、身ごなしをしていた。
 私が懸念したのは、彼のサーダーとしての管理能力であった。カンチェンジュンガへのアプローチは、15~16日以上かかるロングキャラバンとなる。その間、90人程のローポーターを、若い彼が、きちんとコントロールできるのか。サーダーの仕事は、今回初めてという彼に対しての不安は、後日、的中することになる。
 わずか2日半で、出発準備を終えた我々は、曇天のカトマンドゥを早朝、ロシア製ヘリコプターでスタートした。



■バックナンバー
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(1)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(2)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(3)
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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(18)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000