- 第11回 -著者 小西 浩文


100mの高度差に2時間以上費やす
 ルート工作を担当する、品川、中村、砂川が、先ず飛び出してゆく。彼らの任務は、重要である。たちまち彼等の姿が見えなくなる。その後、私がトップ、次に西田さん、その後ろには、奥田、加藤、撮影スタッフ達、ラストは宇佐美が務めて、ゆっくりと登ってゆく。登り出しからグズグズのガレ場(岩・砂などの堆積した場所)である。

 しかし、6,600m地点から、頂上直下までは、此処よりも、もっと極端なグズグズのガレ場が連続する事になる。そこにフィックスロープを張る為に、品川達は先発していた。
 6,400mのキャンプサイトから、100mの高度差を登り切るのに、2時間以上かかる。これは、撮影サイドのスペシャルリクエストで、西田さんには可能な限り、無酸素で頑張ってもらい、その激闘の様子を撮りたいということであった。

西田さんの手を引っ張って
 しかし、100m登るのに2時間以上かかっていては、話にならず、6,500mからは、酸素を吸ってもらう。6,600mから、いよいよアコンカグア最大、最後の難所、グランキャナレータが始まる。ロープを張ってはいるものの、2歩登っては、1歩ズリ落ちるような場所で、傾斜のきつい所では、私が西田さんの手を引っ張って、後ろからは、奥田が押すような状況となる。
 アタック前に中村と交した言葉が、私の脳裏に蘇ってくる。私と奥田、加藤を除く4名の隊員達は、実は数日前に2名ずつ、他のスタッフ達には内緒で、偵察と順応をかねて登頂していた。これが公になると、西田さん達もシラけるかと思っていたので、登頂隊員のみの了解事項としていた。その際に中村が私に言った事とは、「小西さん、酸素吸って筋力がアップするって事はあるんですか?」「えっ、何で?」「いや、グランキャナレータって結構、悪いんですよ。えらいグズグズで、かなりパワーのいる所なんですよ。だから西田さん、登れるかなあと思って。酸素吸って、筋力アップすれば、いいんですけどね。」「いやあ、それはないよっ。酸素吸って、筋力がアップすることはないだろう。普段持っている筋力が発揮できるだけで、アップすることはないだろう。」

カメラマンが高度障害のために下山
 まるで、アリ地獄を登るようにジリジリと、高度を稼いでいく。午後2時半、山崎カメラマンが、高度障害のため下りる事となった。西田さんと山崎カメラマンは、抱き合って泣いている。山崎さん、お疲れさまでした!心の中で、そう言って、頂上に行くことのみに集中する。だが、西田さんのスピードは、かなり落ちてきている。何回も、全員に激を飛ばす。流石に登山隊員は気合いをバンバン返してくるが、撮影スタッフ達は、ボンヤリしだしている。6,750mを突破するが、西田さんの疲労が激しくなってきている。

 しかし、グランキャナレータを抜けるのは、あと距離400m位。どんどん時間が過ぎ去ってゆく。6,800m地点を越える。
 ここまで、1ケ月以上かけて、4,000m以上を登ってきた。あと高度差150m余り。もう頂上は、そこに見えている。そろそろ、西田さんの酸素が切れる為、休憩する。
 高度6,830m。西田さんの酸素ボンベを取り替えている間に、ルート工作の3人が降りてきた。品川に、そっと尋ねる。「あと、頂上までどれ位?」「小西さん、このペースだとあと3時間以上かかりますよ。」それを聞いた瞬間、登頂は無理だということが、わかった。

「西田さんはっきり言って、もう、無理ですね」
 私は、あらゆる思いを殺して、うずくまって、休んでいる西田さんに言った。「西田さん、今、もう6時です。ここから頂上まで、このペースだと、あと3時間、かかりそうなんですよ。そしたら、登頂は、夜9時すぎになるんで、はっきり言って、もう、無理ですね。届かないですね。」「届かない!」「頂上が夜9時だと、帰りが夜中の2時、3時になっちゃうんで、もう、降りざるを得ないですね。」

「みんな、ごめんね、本当にごめんな」
 私は、もっと、様々な言葉をかけたかった。うつむいている西田さんを抱きしめたかった。しかし、もう、時間は、なかった。「西田さん、これ以上やると、生命の危険が出ちゃいますからね、この寒さですからね。」「わかった。皆ごめんね、本当にごめんな。」「西田さん、そんな事はないですよ、全く、そんな事は、ないですよ。」二宮さんと、山田さんに交信した後、隊を2つに分けて降りる事とする。

 撮影スタッフ達には、品川、中村、砂川が付き、西田さんには、宇佐美、奥田、加藤、私が付く。撮影スタッフ達は、ゆっくりだが、順調に下って行く。西田さんは、ここまでで、チカラを使い果たしたのか、1歩降りるのにえらく時間がかかる。
 下りは、宇佐美が先頭で、加藤、西田さん、私、奥田という順番になる。私と西田さんは、ロープを結んでいたが、いたずらに時間が、すぎてゆく。最初は、下りだしたら、すぐペースをつかむだろうと、予想していた私もかなりの時間のかかり様に、焦りを感じだしていた。

30分で10mしか下っていなかった
 風は、ますます強くなり、寒気は、かなり厳しくなってきている。手袋をずらして、時計を見た私は、愕然とした。もう午後7時前、下りだしてから、30分経ったにも関わらず、高度差、わずか10mしか下っていない。後ろから、奥田が、私に言った。「小西さん、ヤバイですよ。」眼の前に、美しすぎる程の、真っ赤な残照に染まる山々と太平洋を見ながら、私は、背筋が凍るような思いを感じ始めていた。



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■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000