- 第5回 『山をカラダで覚える感覚』 -  著者 星野 敏男


 大学のキャンプやスキー実習、ゼミ合宿などを長年実施してきたが、その過程で、古くからそこで暮らしている人々と知り合いになることが多くあった。そして、その人たちと一緒に山に行ったり川に行ったりして、いろいろなことを体験させていただいた。そのようなとき、その地域で育った人たちが身につけている身体感覚としての山の見方や川の見方に出会うことも多くあった。
 たとえば、地元の人たちは、地図を持たずに山に入るが、霧や雪で周りが見えなくなったりしても、決して迷うことなく山を降りてくることができる。土地の人たちは、カラダで山や地形を覚えているからである。地図的な見方で山を見るのではなく、身体感覚で山の形状や特徴的な樹木や岩をカラダで覚えているようだ。

 私もこの人たちと同じような感覚で子どもの頃から山に入っていたので、共感する場面が多くあった。この感覚は、山間部で育った者が持つ独自性かもしれない。一緒に実習を行っていた都市部育ちの同僚からもこの独特の感覚について不思議がられることもあった。子どもの頃から日常的に山や川、海、あるいは里山などに入っていた経験のある人たちには、このような身体感覚で山や自然を捉えようとする能力や癖が身についているように思う。
 もちろん、現在は便利なGPS付きの登山アプリもあるので、私もそれをスマホに入れて利用しているし、地図とコンパスも毎回必ず持っていくのだが、この身体感覚として自然をみようとするくせはカラダにずっと染みついているのか、高齢になった今でも時々登山の途中で顔を出してくる。しかし、この感覚を人にうまく説明するのはなかなか難しい。

 そのようなことを考えていたある日、このことに関連するような興味深い文章に偶然出会った。それは、「地域に根ざした教育(Place Based Education)」という高野孝子氏の本の中に書かれていたものである。この本では、野外教育・環境教育を行っている海外の人たちの優れた実践事例がたくさん紹介されているのだが、その中の一人が、地図やコンパスを使用する場合の注意事項について触れていている箇所があり、そこで以下のように述べられていた「地図というのは、その土地空間を記号情報だけで表そうとしたもので、地元の文化的な情報、つまり、どうやってその土地で生きていこうかという地元住民の文化的な視点では描かれてない」。つまり、気をつけないと「軍隊が知らない土地を占領するような視点で地図を見ることになるので注意が必要である」といったようなことが書かれていた。
 これを読んで、なるほど、記号情報としての関係性だけで地図的に山を見るのではなく、カラダや文化的な関係性で山を捉えようとする見方は大事なことなのだな、これこそがその土地に生きる人たちが持っている山を見る独特の感性の正体だろうな、とこれまでの疑問が解消し、深く納得させられたのであった。
 機会があれば、今後も土地の人たちがどのように山を見ているのか、ぜひ尋ねてみようと思う。
※画像はイメージです


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■著者紹介

星野 敏男(ほしの としお)
明治大学名誉教授 1951年栃木県生まれ。東京教育大学体育学部、筑波大学大学院で野外運動、野外教育を研究。1978年から2022年3月まで明治大学に勤務。体育や野外スポーツ関係の授業を数多く担当する。1985年から86年の1年間は、アメリカ北イリノイ大学大学院野外教育研究科に客員研究員として在外研究。日本野外教育学会理事長や日本キャンプ協会会長など歴任。自然体験・野外教育の研究分野では日本の第一人者のひとりとして著名。著書、論文多数。