- 第3回 -  著者 星野 敏男


 古来より、ものごとを「言葉や知識として知る」ことと、「こころで感じ、わかる」ことの違い、あるいは、その重要性については、さまざまに説明されています。
 レイチェル・カーソンは「知ることは感じることの半分も重要ではない」と表現して、体験し感じ取ることの重要性を指摘していますし、また、哲学者のマイケル・ポランニーは、「我々は語れる以上のことを知っている」と表現して、言葉では表現しにくいが自分では知っている「暗黙知」の重要性を指摘しています。 
 この暗黙知というのは、形式知という文章や言葉、数学的表現など、教科書などから容易に学ぶことのできる知に比較すると、人間一人ひとりの体験に根ざす個人的な知識であり,言葉や文字などに形式化したり、他人に伝えたりするのが難しいものとされています。分野によっては、身体知とか経験知などとも呼ばれています。

 自然の中でさまざまな体験をすることは、教科書で得られる「知っている知識」と違い、「身体を通してわかっている知識」をたくさん身に付けていくことになります。体験しないとわからないもの、伝えられないことが世の中にはたくさんあります。いくら必死になって教科書を読んでみたところで、そのまま自転車に乗れるようにはなりませんし、泳げるようにもならないのと同じことです。

 また、雪が溶ければ水になるということは、教科書で容易に教えることができますが、雪が溶けたら春になるとか、草木が萌え出る季節が来るといった感受性豊かで感性的な知識は、教科書では簡単に教えられません。冬の寒さや雪の冷たさ、春の日差しの暖かさ、芽吹きの初々しさなどを実際に体感していないと、なかなかこのような感性としての表現は生まれてきません。
 「サクラ」の花が咲いているとか、「スズメ」がいるというのは、なまえを教科書で覚えれば簡単に言えますが、「きれいな花が咲いている」とか、「かわいい鳥がいる」といった、ある種の価値を含んだ表現は、教科書からだけでは簡単に学ぶことはできません。

 自然をただ単に知識として見るか、価値を含んだ感性を通して見るかには、とても大きな違いがあります。子どものうちに豊富な自然体験の機会に触れさせるとともに、その時、まわりの人達が発する「きれいだな~」とか、「すごいなあ~」「やった!~」といった価値を含んだ言葉をたくさん聞かせてやることには重要な意味が含まれています。
 この秋は、本物の紅葉を体験してみませんか?


■バックナンバー
なぜ、いまなぜ自然体験が必要なのか(1)
なぜ、いまなぜ自然体験が必要なのか(2)
なぜ、いまなぜ自然体験が必要なのか(3)
学校教育と自然体験(1)
学校教育と自然体験(2)
学校教育と自然体験(3)
学校教育と自然体験(4)
学校教育と自然体験(5)
学校教育と自然体験(6)

■著者紹介

星野 敏男(ほしの としお)
1951年栃木県生まれ。
明治大学 教授
東京教育大学卒業。筑波大学大学院で野外活動を研究。
野外教育全国会議実行委員長、日本野外教育学会理事、日本キャンプ協会理事などを務める。自然体験・野外教育の研究分野では日本の第一人者のひとりとして著名。
著書、論文多数。

■関連情報
社団法人日本キャンプ協会