著者 節田 重節


 「低山歩き」がブームである。2020年11月からNHK-BSで放送されている、酒場詩人・吉田類さんの『にっぽん百低山』がブームの火付け役ではなかろうか。あるいはここ数年、コロナ禍で外出もままならなかった状況から解放されて人々の自然回帰や健康志向が高まり、野外に飛び出したくなったからだろうか。
 古来、「山高きが故に貴(たっと)からず、樹有るを以(もっ)て貴しと為(な)す」と言われてきたが、「より高く、より困難を求める」アルピニズムだけが登山ではなく、日本の低山には、低山歩きなりの楽しみと味わいがある。
 近代登山の黎明期から「低山趣味」の登山者はいたが、この半世紀ほど、低山にこだわって歩き続けてきたのは、イラストレーターでエッセイストの小林泰彦さんではなかろうか。小林さんは昭和10(1935)年、東京市日本橋区米沢町(現・中央区東日本橋)の生まれで、御年90歳。今でも元気に歩いておられる。

 今日の低山ブームの下地を作った小林さんは、月刊誌『山と溪谷』で長年にわたって「低山もの」の連載を持ち、昭和59(1984)年に画文集『低山徘徊』を、同62(1987)に『低山逍遥』を出版している。さらに低山歩きは続き、平成13(2001)年には『日本百低山』を著わしている。これが「日本百低山」の先駆けと言える。そして、平成29(2017)年に日本山岳ガイド協会編『日本百低山』(幻冬舎plus)が発刊され、吉田類さんの『にっぽん百低山』に続く。
 中高年登山者のバイブル『日本百名山』で深田久弥は、「百名山」の選定基準として標高1500m以上の山々から選んでいるが、逆に小林さんは1500m以下の山々から「百低山」を選定している。「低山」という言葉に具体的な基準があるわけではないが、妥当な線ではなかろうか。
 ところで、警察庁が発表した令和5(2023)年の「山岳遭難統計」によると、遭難事故は全国で3126件起こり、遭難者数は3568人にも上っている。ただ、およそ半数の1833人は無事救出されており、死者・行方不明者の数は335人、約1割という。

 次に遭難した山域を都道府県別に見てみると、日本アルプスを抱える長野県が302件(332人)なのはもっともだが、なんと2位が東京都で、214件(233人)という数字にびっくり。なかでも高尾山で133人も遭難しており、二度びっくり。富士山の97人、穂高連峰の80人を上回って、約80%の増加率とか。
 高尾山はわずか599mの山だが、半ば観光気分で登って転倒や滑落、道迷いによる遭難事故が多発しているのである。標高が低いからといって、低山を舐めてはいけない。遭難する要素はどんな山にも潜んでいることに留意して、低山ならではの多彩な山歩きを、のんびりと楽しんでもらいたいものである。


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■著者紹介

節田 重節(せつだ じゅうせつ)
日本ロングトレイル協会 会長
1943年新潟県佐渡市生まれ。中学時代に見た映画『マナスルに立つ』や高校時代に手にしたモーリス・エルゾーグ著『處女峰アンナプルナ』を読んで感激、山登りに目覚める。明治大学山岳部OB。㈱山と溪谷社に入社、40年間、登山やアウトドア、自然関係の雑誌、書籍、ビデオの出版に携わり、『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部部長、取締役編集本部長などを歴任。取材やプライベートで国内の山々はもとより、ネパールやアルプス、アラスカなどのトレッキング、ハイキングを楽しむ。トム・ソーヤースクール企画コンテスト審査委員。日本ロングトレイル協会 会長、公益財団法人・植村記念財団理事など登山・アウトドア関係のアドバイザーを務めている。