- 第3回 -  著者 節田 重節


手の傷は勲章
 私の左手の親指と人差指には、5つの切り傷がある。すべては思い出せないが、鋸、鎌、そして竹細工用の鉈などで切った傷である。
 鋸の傷は、確かおもちゃの船を作っていた時のもの。
 鎌の傷は、家で飼っていた山羊のために草刈り中に誤って負ったもの。
 鉈のそれは竹細工で、魚篭を作ろうとしていて、割り竹をへぐ時に勢い余って切り付けてしまったものである。

 田舎育ちの子供たちは、幼い頃から、見よう見まねで刃物をいじくっている。山仕事や畑仕事の道具はいつも身近にあったし、親や近所の大人たちが使いこなす様子を横目で見ながら、いつの間にか一丁前に振り回していたものだ。
 いわば左手の傷は、子供たちの勲章だった。

ナイフで鉛筆を削るのは貧乏?
 親たちも一応「危ないからやめなさい!」と怒りはしたが、今日びの母親のようにヒステリックにわめき、刃物を取り上げたりはしなかった。
 私の娘たちは、小学生の時からナイフで鉛筆を削っていた。ある時、クラスの仲間たちに言われたそうである。「あいつの家は貧乏だから、鉛筆削りが買えないんだ」と。

 自然のなかでさまざまな体験をするには、なにがしかの道具が必要である。自らの肉体を補助する、必要最低限の道具である。縄文や弥生の時代から、我々人類は道具を使うことによってより生活をレベルアップさせ、活動範囲を広げてきた。道具は智恵の結晶である。
 自然体験や野外体験は、高度な文明社会のなかで、あえてプリミティブな生活や活動を経験してみたいという遊びである。ちょっと前まで日本人は、そのようなお題目を掲げなくとも、文字どおり「自然に」自然と親しみ、そのなかで道具を使いこなしていたのである。

道具が使えない若者達
 何年か前、北アルプスの燕山荘という山小屋に泊まった時のこと。山荘のオーナーに誘われて北燕岳の道直しに同行したことがある。夏山がオープンして間もない時期で、入山したてのアルバイトの若者が、二人駆り出されてついてきた。
 現場に着いて早速山の斜面を削り始めたのだが、若者二人が全く役に立たないことが分かった。腰が定まらず、腕力もなく、鶴嘴や鍬、鋤簾が使えないのである。結局はほとんどの作業を、おじさん二人で片づけたのであった。もっともこんな若者でも、ひとシーズン山小屋でしごかれれば、立派な小屋番として翌シーズンは新入りの前で、一丁前の顔ができるようになるのだが....。

 左手の傷のひとつひとつを見つめていると、その時々の痛みが蘇ってくるとともに、日本の子供たちの未来にちょっぴり不安が過ぎるのである。


■バックナンバー
好奇心は旅の素
あえてインコンビニエンスな世界へ
野外体験と道具
イギリスの旅から(上)
イギリスの旅から(中)
イギリスの旅から(下)

■著者紹介

節田 重節(せつだ じゅうせつ)
株式会社 山と溪谷社 取締役編集統括本部長
1943年 新潟県生まれ。明治大学法学部卒業
1965年 株式会社 山と溪谷社 入社
『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部長などを経て現職。
明治大学山岳部OB、日本山岳会会員、植村直巳記念財団評議員