- 第2回 -  著者 節田 重節


 不況とはいえ、傍目には豊かな国ニッポン。なにがしかのお金さえあれば、三食、食べるものに不自由することはない。そんな恵まれた日常から飛び出して、物好きにもあえてインコンビニエンス(不便)な環境に自らの身を置こうとする登山者やアウトドアズマンといわれる人種がいる。
 これらの人々は「満たされている状態」が続くと「満たされなさ」を感じる、天邪鬼な性格を持っている人々なのであろう。もっともらしく言えば、「厳しい自然環境に自らを晒すことにより、本来人間に備わっている生きる力を、身をもって実感するため」に日常から脱出したがるのではなかろうか。

 ネパール・ヒマラヤのヒマルチュリ(7893m)の偵察を終え、ルピナ・ラ(4643m、ラは峠)を越えてダロンディ・コーラ(コーラは谷)最奥の、グルン族最大の村バルパックに下山しようとした折のことである。偵察終了がネパールで最も大きなお祭りであるダサインの期間と重なってしまい、食糧が全く上がってこなかった。残りの食糧でなんとか峠を越え、人家があり、食糧が調達できるバルパックまで辿り着きたい。そんなシビアな状況で峠越えに出発した。ところが、計算が甘かった。峠はなんとか越えたものの、バルパックまでは予想以上に遠かった。

 すべての食べ物が尽きた時、幸運にも山奥のカルカ(夏の放牧小屋)で人影を発見、頼み込んで乾燥したマッカイ(トウモロコシ)を購入できた。調理もなにもない。ただフライパンで炒ってポリポリと頬張る。最後の2日間は三食このマッカイだけ。連続して食べると顎が疲れるので、ポケットにたくさん入れ、歩きながらポリポリ、トボトボ....。
 ふらふらになって、やっと辿り着いたバルパックは、さすがに大きな村だった。なにはともあれ、とにかく口に入る食べ物を調達すべく雑貨屋に走る。賞味期限などとっくに過ぎているであろうビスケットが、マッカイ以外の最初の食べ物だった。夢中になって貪り食い、人心地ついたところで仔細に見てみると、なんと虫入りのビスケットであった。

 人は、なんとか口に入る物さえあれば、30kgの荷を背負いながらでも、歩き続けられるものである。最後はもう見た目とか、味は関係なくなってくる。とにかく口に入ればいい。
 生き物としての人間の本能的な欲求、原初の姿を垣間見たような体験だった。

 食べることは人間の最もプリミティブな行動。この1ヶ月半のネパール行で、13kgほど痩せた。食べ物の大切さを身をもって知らされた後だけに、帰国後は毎食、ひとつ残さず食べてしまう習慣が付いてしまった。13kgの体重が元に戻るのに、そう長い時間を必要としなかった。


■バックナンバー
好奇心は旅の素
あえてインコンビニエンスな世界へ
野外体験と道具
イギリスの旅から(上)
イギリスの旅から(中)
イギリスの旅から(下)

■著者紹介

節田 重節(せつだ じゅうせつ)
株式会社 山と溪谷社 取締役編集統括本部長
1943年 新潟県生まれ。明治大学法学部卒業
1965年 株式会社 山と溪谷社 入社
『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部長などを経て現職。
明治大学山岳部OB、日本山岳会会員、植村直巳記念財団評議員