- 第1回 -  著者 節田 重節


 「あの峠の向こうにはどんな風景が待っているのだろうか」「この海を渡った先にはどんな生活があるのだろうか」……と、まだ見ぬ世界に夢や想像を馳せることが「旅」の原点であろう。

 佐渡という島に育った私にとって、本や新聞、ラジオなどで知る本州、そして海外の風物や生活は、海を隔てていただけに、子供の好奇心を大いに刺激するワンダーランドであった。受験戦争とは無縁の島の子供たちの生活は、まさに「遊び」が「仕事」だった。特に夏休みの日課は海水浴。海岸でさんざん遊んだ後は、アユやウグイを追いかけながら川を遡行して家に戻るのが常だった。

 ある日ふと、「この川はどこから流れて来ているのだろうか」「この川の水源はどんな山の中なんだろうか」と考えた。好奇心で頭でっかちの子供の行動は歯止めが利かない。仲間たちと語らって、ささやかながら源流探検の旅に出た。間宮林蔵や伊能忠敬のことを本で読んでいた影響があったかもしれない。
 初めて出会う風景に興奮しながら、「この先はどうなっているんだろう」「もうちょっと行ってみようよ」などと、どんどん上流を目指す。しかし、佐渡島内の川だから大した川ではないが、子供の足ではとうてい一日でその源を突き止められるわけがない。いつの間にか、さしもの長い夏の日も傾きかけているのを知る由もなかった。

 あわてて河原から田んぼ道に上がり、半分泣きべそをかきながら家路を急ぐ。親たちにこっぴどく怒られたのは言うまでもない。いつもの日課の海水浴に行っているものだとばかり思っていた子供たちが、夕暮れ時になっても帰ってこないのだから、心配するのも無理はない。ときどき蘇る父に叩かれた頬の痛みとともに、苦い思い出である。

 だが、「好奇心」という私の獅子身中の虫は「三つ児の魂百まで」であった。この川の源に対する憧れが身体の成長とともに膨らみ、やがて大学時代の山登りに結実し、日本アルプスへ、ニュージーランドへ、さらにはヒマラヤへとつながっていったのである。
 好奇心こそ生きるためのエネルギー源である。これだけは薬局には売っていない。親が与えるか、子供自身が自分を取り巻く自然の中から吸収するしかないのである。


■バックナンバー
好奇心は旅の素
あえてインコンビニエンスな世界へ
野外体験と道具
イギリスの旅から(上)
イギリスの旅から(中)
イギリスの旅から(下)

■著者紹介

節田 重節(せつだ じゅうせつ)
株式会社 山と溪谷社 取締役編集統括本部長
1943年 新潟県生まれ。明治大学法学部卒業
1965年 株式会社 山と溪谷社 入社
『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部長などを経て現職。
明治大学山岳部OB、日本山岳会会員、植村直巳記念財団評議員