第1回 著者 杉原 五雄


平成15年度 『飯田自然体験学習』レポート
2003年10月22日~10月24日(2泊3日)

 過去3年間、この『飯田自然体験学習』は雨に降られたことがない。昨年度は天気予報では雨、事実出発した時点ではどんよりと曇っていたが、諏訪を過ぎるあたりから雲が切れ出し、飯田に着く頃には太陽がのぞいていた。
 しかし今年は事情が違う。週間天気予報では3日間とも雨に祟られる心配があり、今度ばかりはどうも運が悪そうである。

 例年通り、出発の日は早く目が覚める。早速コンピュータで天気予報のサイトを見ると、レーダーには大きな雲影があり、間もなく東京地方を覆いそうな気配である。この雲は大きくしかも低そうで、このままいくと確かに連日雨の予想も当たりかねない。
 しかし、その大きな雲の塊が、西で二つに分かれている。ひょっとしてこの雲の分かれ目に飯田が入ってくれると、晴れることは無理でも雨が上がることは期待できるので、今回は、ただただ天に祈るばかりである。

出発は雨の中
 自宅を出る頃、今まで音を立てて降っていた雨脚が弱まり、小田急で学校に向かう途中、多摩川を渡るとさらに小降りになりはじめた。これはひょっとしたら、雲の合間に入ったのかもしれない、と一瞬期待が出る。
 私が学校に着いたのは、午前6時30分、雲は厚いものの雨はほとんど落ちていない。このままいけば校庭で出発式ができると天に祈る気持ちで待ったが、無情にも子どもたちが集まる頃になって雨が落ちてくる。

 しかも強くなる傾向に、出発式を玄関ロビーに変更する。今年は文部科学省管轄のオリンピックセンターの夢基金の事業として、本校の本物の自然体験活動を全国の学校に紹介するために、撮影隊が3日間子どもたちと行動を共にすることになっている。
 狭い玄関に42名の子どもと保護者、しかもカメラが3台も子どもたちの表情を追いかけるので大変な混雑になってしまったが、子どもたちはこれから始まる飯田大平宿での生活に期待をふくらませ、表情は誰も生き生きと輝いている。

 共通の荷物は雨の中、本校の教職員の手によってすでにバスに運び込まれているが、今年はドングリの苗が子どもの数の3倍もできたので、大変である。子どもたちも引率の大人も身の回りのリュックとナップザック、それに苗を数本持っての移動なので、たった数分の学校からバスまでの距離が、異常に長く感じられる。(本校の前の道は、大きな道路からの入り口が狭いため、大型どころかマイクロバスも、進入して駐車することができないので、普段からバスでの校外学習時は、歩いて3分ほどの水道道路という広い道まで歩かなければならない)

 やっとバスに乗り込み運転手さんに大きな声であいさつ。今年も飯田から3台のバスが迎えに来てくれている。一号車のバスの運転手は、この学習をはじめて以来4年連続してお世話になっている飯田市の信南交通という、バス会社の柳沢さんである。
 柳沢さんの運転技術は素晴らしく、大平宿への大変な山道も熟知している。今回も教育委員会に無理を言って飯田市のバス会社をお願いしたが、柳沢さんの顔を見た瞬間、今年も安心して山道を任せられるという気持ちになる。

『双葉サービスエリア』に到着
 大勢の保護者に見送られ、雨の中約20分の遅れで出発したが、わずか5分ほどで初台のインターから首都高速に乗ることができた。これは幸先が良いとよろこんでいたが、突然スピードが落ちてたちまち渋滞にまきこまれてしまった。
 きっとどこかで事故だろうと、しばしのろのろ運転を続けたが、対向車線で乗用車にトラックが追突している現場を通りすぎると、嘘のように流れ出す。これがいわゆる見物渋滞というものらしい。雨が間断なく降り続き、ワイパーの動いていることだけが昨年までとは違うが、後は順調そのもの、出発が遅れたが、ほぼ当初の予定通り9時15分休憩場所の『双葉サービスエリア』に到着する。

『諏訪湖だ!』
 そこで飯田と連絡をとる。飯田は雲の合間に入っていることを願ったが、飯田も弱いながら雨が続いていると聞き、やや気持ちは滅入ったが、コンピュータの画面を思い浮かべ、これから厚い雲の合間に入り雨の止むのを祈る。
 休憩を終え走り出したバスの車窓から、今までガスに遮られていた周りの山の稜線が、はっきりと見え始めてきた。色鮮やかな木々が雨に洗われて美しい。バスの中が明るい雰囲気に包まれる。子どもたちの『諏訪湖だ』という声が聞こえる。くっきりとあたりの景色が現れ出してきた。これは幸先が良い。気がつくとワイパーの動きも止まっている。
 願い通り、岡谷のジャンクションのあたりから、薄日さえ差し込んできた。ひょっとしたら奇跡的に天候が回復するかもしれないと、一縷の願いを乗せてバスは順調に伊那路を疾走する。しかし天はほんの少ししか私たちに喜びを与えてくれなかった。無情にも再びワイパーが動きはじめる。

 雨の勢いに一喜一憂しながら、バスは刻々と飯田に近づく。道路が空いていたせいだろうが、出発が20分も遅れた割にかなり早くの到着である。間もなくインターの出口、子どもたちに右の車窓を注意して見るよう伝える。
 『ワッー凄い』『美味しそう』などという歓声があがるのは例年通りである。雨なので色にいま一つ輝きはないが、たわわに実ったリンゴが例年通り子どもたちを迎える。インターで市役所の竹前さんの迎えを受けて、最初の目的地である柿の沢センターに向かう。
 柿の沢地区センターは『中幡の森』近くにある飯田市の公共施設で、毎年私たちが昼食や休息の場とさせていただいている場所である。そこにはすでに『中幡の森』の土地を提供していただいたうえに、どんぐりの苗の手入れまでしていただいている宮内さんとそのお仲間の方々の暖かい出迎えが待ち受けている。

飯田市に到着
 早速、子どもたちに宮内さんを紹介し、ごあいさつをいただく。学校の出発式を撮り終えて先行している撮影隊クルーが、宮内さんや子どもたちの表情を逃すまいと、3台のカメラをフル回転させる。
 昨年度に安藤スポーツ・食文化振興財団のトム・ソーヤースクー企画コンテストでグランプリをいただいた関係からか、本校の『飯田自然体験学習』は、文部科学省から豊かな体験活動の推進校に指定されたのをはじめ、全国から注目を集めている。その中で特筆しなければならないのが、長野県の県庁からの申し出である。『東京の子どもたちが、長野県で素晴らしい活動をしていることを知ったので、ぜひ中の県にこの活動を紹介したい。ついては、今回の活動の様子を取材したい。』とのことである。

 私は、かねがね子どもたちどうしを交流させたいと願っていた。県庁が動き出したことによって、近い将来この交流が実現する見通しがたちはじめる。
 その当事者である県庁の担当部署の宮田課長が、忙しい時間をやり繰りして柿の沢センターに、長野県の名物である『おやき』を大量に持って駆けつけてくださった。
 これは嬉しい。大平宿で『おやき』がおやつとして出るなんて予想もしなかった幸運である。子どもたちから最大限の歓声が上がったことはいうまでもない。

 空は明るいが細かい雨が降ったり止んだりしている。盛土して作った『中幡の森』は、昨日来の雨で相当ぬかるんでいるだろう。バスの中で澤田教諭と、もし今日植樹ができない場合は、翌日にまわそうかと話していた。竹前さんや宮内さんを交えて協議する。子どもたちは、そんな私たちの苦労などはどこ吹く風の雰囲気で、目の前に出された柿の沢地区の農家の大勢のおかみさんたちの、心づくしの味噌汁をご馳走になって、昼食を楽しんでいる。

予定を変更してきのこ狩り
 今日はキノコ狩りをして直接大平宿に向かうことに決める。明日、大平宿からもう一度ここに来ることになるがこれは仕方がない。やはりこの学習の大きな柱が『中幡の森』への植樹であるので、このイベントは青空の元でやらせてやりたい。
 昼食を終わり、再びバスに分乗してキノコ狩りの場所に出かける。このプログラムはこの学習を始めた4年前に行なって以来、時間の都合でやっていなかったが、今年は夕食に地元の食材を使おうということで取り入れたものである。前回は、これが『キノコ狩り?』  と思うほど無尽蔵にナメコやヒラタケが群生していた場所であるが、今回もその場に向かう。雨はもうほとんど気にならないほどになっている。

 バスで20分ほど山奥に入り、そこから歩くこと20分。キノコ栽培農家の木下さんがバスを待ってくれている。あいさつをして、木下さんの案内で山道を登る。4年前には秋晴れの元ヘビの脱け殻など探しながら歩いた道であるが、今年は雨上がりで足元に注意しなければ水たまりに足首まで入ってしまう。
 途中には、以前にも備えつけられていた大がかりな、イノシシを追い込む檻がある。子どもたちにとって不思議な木枠であるが、その見学は帰りの楽しみにして、まずはキノコ狩りである。4年前と同様、無造作に並べられたホダ木に生えている無数のナメコを発見した子どもたちの口からは『ウォー!』という悲鳴に近い感動の歓声があがる。

 少し上に登った場所には、平べったい白いヒラタケというキノコ、周りにナメコが無数に群生している。木下さんから『あまり小さいヒラタケは採らないように、また色が茶色くなったものは、盛りが過ぎたものなので美味しくないよ。ナメコは傘が大きく開いたものでも美味しいので安心して採ってください。』という説明を受けて、キノコ狩りが始まる。
 木下さん曰く。『夫婦でやっているのだけど、キノコを採る時間がない。どうぞ好きなだけ採っていってください。そして持ち帰って、なるべく早く食べてください。』
 このキノコの山を前にして、なんと贅沢な言葉であることか。

信州大学平野教授が見学に
 子どもたちはヌルヌルしたキノコの感触にキャーキャー言いながらも楽しそうである。中には気持ち悪いと尻込みしたり、いちいちハンカチで手を拭きながら、恐る恐る触っている子どももいるが、慣れるに従って大胆に集めはじめ、30分ほどキノコ狩りを楽しむ。
 4年前の子どもたちは、全員といってよいほど配られたビニール袋に入りきれないほど詰め込んでいたが、今年は何か遠慮がち。キノコの生えた様子を見ただけで満足したのかもしれない。
 キノコ狩りの最中に、自然体験活動の研究の第一人者である信州大学の平野教授が見学させてほしいとお見えになる。私も何度かお会いし、顔なじみである平野先生は、大学では数少ない自然体験活動の講座を開いている方で、その先生がわざわざ見学に来られるのであるから、これは本校のこの活動も本物と認められたようで嬉しいことである。

 撮影隊のクルーも子どもたちを追いかけるのが大変である。足元が悪い上に油断すると無造作においてあるホダ木に足をとられ、よろけるカメラマンもいる。
 あとは大平宿に行くだけなので時間的にも余裕がある。キノコ狩りを堪能しての帰り道は、すっかり雨もやんだ山道を、大声を出してイノシシの檻に入ったり、ドングリを拾ったりしながらのんびりと楽しんでバスに向かう。

大平宿へ
 バスに乗り込み、いよいよ日光いろは坂より急峻で狭い山道を大平宿へ向かうが、途中心配なのがトイレである。都会と違って急にトイレを探しても見つかるわけはない。子どもたちに不快な思いをさせたくないので、またまた竹前さんにお願いして、上久堅の農協で、急遽トイレ休憩を取らせていただいてから、大平宿に向かう。
 ベテランの柳沢さんの運転は実に巧みで、急峻な上狭い道でも対向車と出会っても、何の心配もない。途中素晴らしい景色のところではゆっくり走らせるなど、心にくい運転である。刻々とうつりゆく紅葉の素晴らしい景色に見とれ、乗り物酔いの児童など一人もいない。
 絶景の山道をバスに揺られること約1時間、午後4時過ぎに、夢にまで見たという子どももいるほど楽しみにしていた『大平宿』に到着した。

開村式
 早速自分たちの宿舎になる『からまつや』、『ますや』という民家に荷物をおいて開村式を始める。
 過去、このセレモニーは駐車場となっている広場や廃校の校庭で行なってきたが、今年は新しく建てられた『下紙屋』という広い民家が利用できるので、囲炉裏を囲んでの開村式という趣向となる。
 私が大平宿の村長と呼んでいる、『大平宿を守る会』の代表の羽場崎さんから歓迎のあいさつがあり、例年以上になかなか味のある厳粛な式になった。
 開村式を終えると、私の出番である。例年子どもたちに指導している火起しであるが、今まで外で行っていたのを、今年はその場の囲炉裏で行なう。これは私の得意技であるので難なく終了、例年通り子どもたちから大きな拍手が上がったが、この模範演技も今年が最後であり、屋内だったこともあって、余計に大きく響いたように感じられた。

竈と囲炉裏で料理
 開村式終了後、子どもたちはそれぞれの宿舎に移ったが、すぐにとりかからなければならない仕事が食事の用意である。引率教員の多くが何度か経験している竈と囲炉裏での料理であるが、子どもたちにとっては生れて初めての体験である。今日のメニューはカレーライスで、家庭科の学習で学校で作ったことがあるのだが、ここでは勝手が違いすぎる。その上、最初の共同作業ということでチームワークも固まっていない。
 教師たちは、ここでの生活を通して自主性を育てることを目標としているので、できるだけ口をはさまないようにしている。時間は容赦なく過ぎ去っていく。その上どちらの民家にもカメラがあるので自由に動き回れるスペースも限られてくる。

 子どもたちは、真剣に料理をしているがなかなかはかどらない。しかし、確実に互いどうしの思いやりの気持ちが高まっていることは、見ていても雰囲気で分かる。結果的には食事にありつけたのは、午後7時近くになってしまった。予定よりおよそ1時間遅れである。

 今年もいろいろな学習予定が入っており、食事当番以外の子どもたちも、それぞれの役割がある。今年新たに障子張りというメニューが入り、その学習チームは気合の入った行動で破れ障子の手入れに挑戦している。このプログラムはなかなか面白い上に、例年すきま風に悩まされるので実用面からも効果的である。特に『ますや』という民家の障子は、破れ方が激しいので、このチームの活躍は特筆ものである。

 子どもたちの夕食の準備が始まるころは、すでに夕暮れの帳がおりはじめ、あたりには暗闇か広がってくる。雨はすっかり止み雲間からは、星の姿が見えはじめている。この調子なら、今夜はきっと星空の観察もできるだろうと楽しくなってくる。
 予想通り、星がたくさん見えるようになってきたが雲の動きが激しい。食事が終わり後片付けの時間になって、『星がきれい』『星の観察ができるぞ』という大きな明るい声が響きわたる。いよいよ私の出番である。

星座教室は明日にお預け
 今年は月の状態がよく(10月25日が新月に当たる)、全くの闇夜なので、去年のように月の上がってくるのを気にしなくて良い。気持ちの上では実に余裕がある。
 子どもたちを広場に集めて指導を始めようとしたのだが、その時になって、急に雲が広がり星影は消えてしまった。雲が急速に動いているので、その合間に星が顔を出すのだが、あまりにも雲の動きが早いので、『ほらあの星を見てごらん』と声を掛けて、懐中電灯をその星に当てようとすると雲に隠れてしまう。

漆黒の闇
 しばし雲と星と懐中電灯の光の追いかけっこをしていたが、落ち着いて話ができない。きっと明日は、ゆっくりできるだろうと思い、星の観察は切り上げて、子どもたちを大平宿のはずれまで案内することにした。
 狭い集落なので、夜の散歩を5、6分楽しむともうはずれに到着。そこで全員の懐中電灯を消して、真の暗闇(漆黒の闇)という状態を体験する。これは月齢がよくないとできない。3年ぶりに体験できた漆黒の闇は、きっと子どもたちの記憶の中で、生き続けていくに違いない。

 そこから宿舎までの帰りは一人一人で歩くことにしたが、懐中電灯をたよりにキャーキャーと、賑やかな時間がゆっくりと過ぎていく。途中から急に雲の動きが遅くなり、素晴らしい星空が広がってきた。残念ながら就寝時間をかなり過ぎているので、全員を集めることはせず、周りに集まった子どもたちに星座のことなどを説明するにとどめたが、見た子どもたちは、秋の星座の雄大さと天の川の美しさも記憶に残してくれたと確信している。

 天候の回復が遅れた分冷え込みが厳しくならず、破れ障子の手入れが終わって、すきま風が防げたこともあって、この夜はほとんど寒さを感じることがなかったうえに、教師たちの指導も慣れたもので、子どもたちはすぐに安らかな寝息をたてて、ぐっすりと寝始めた。

忘れてしまった寝袋の配布
 後で、我々の確認の手違いで厚い寝袋を受けとることができずに、寒くて寝られなかったという子がいたことを知った。学校では教師と子どもの信頼関係が強くなると、ついつい教師に油断が生じ、子どもたちの自主性を信頼して、確認をしなくても子どもたちから言ってくれるだろう、という甘さがでてしまうことがある。しかし、大平宿のような特殊な場であっては、このような失敗はしてはならない。
 私が普段の学級を見ていた限りでは、確実な指導ですっかり安心し任せてしまっていたことが原因であるが、引率責任者として一人一人確実にチェックさせなかった私の責任だと深く反省している。
 帰宅して病院に行って手当てを受けたおかげで、その後具合が悪くならなかったからよかったが、もし病気にでもなっていたら、と思うと今でも冷や汗がでる。
 保護者にすぐ謝罪し、今後二度と起してはいけないと肝に命じた。6年生であることなどで、ついつい大丈夫だと思った甘さがあったのだろうが、今後この学習をより有意義にするために、厳重に注意しなければならない。



■バックナンバー
私の実践している自然体験活動 第1回
私の実践している自然体験活動 第2回
私の実践している自然体験活動 第3回
私の実践している自然体験活動 第4回
私の実践している自然体験活動 第5回
奥多摩での2日間~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~ 第1回
奥多摩での2日間~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~ 第2回
私の実践している自然体験活動 第6回
私の実践している自然体験活動 最終回
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(1)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(2)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(3)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(終)

■著者紹介

杉原 五雄
1943年京都生まれ。富士電機通信製造(株)を経て、横浜国立大学教育学部卒業。
1968年東京都の小学校教員となり、現在、渋谷区立中幡小学校校長。
著書に「畑と英語とコンピュータ」などがある。
http://village.infoweb.ne.jp/~sugihara/main.htm