最終回 著者 杉原 五雄


『私の自然体験活動の考え方』

魅力的なプログラムを作る
 教育には 夢が必要である。
 子どもの心を引き立たせる何か、ロマンと表現して良いのかもしれない。さらに、物語性というかスト-リ-が必要となる。スト-リ-と表現したが、目的、手段をはっきりとし、その過程が見えるというか想像できることが大切である。

 そして自然体験を銘打つ以上、何より大切なことは、本物の自然体験でなければならない。自然体験と称して、尾瀬や戦場が原の木道を、一列になって無目的に歩くことや、たった一頭の乳牛を大勢の子どもたちが、ほんのわずかな時間乳房に触れ、搾乳まがいのことをすることなど、実施しないよりはましなのだろうが、はたしてこれが自然体験なの?と疑問に思うプログラムがたくさんある。
 さらに、もう一項目付け加えると、なくてはならないのが学習の連続性である。学校によっては鼓笛隊があり、6年生になったら鼓笛隊に入れる、という目標があるが、それと同じように自然体験活動も、学年の連続性があることが望ましい。
 しかし、もともと指導計画はないが、年度途中に素晴らしい教材と指導者が揃い、ある学年だけが対象になる、いわゆる飛び込みの学習のチャンスに、恵まれることがある。その時はチャンスをみすみす見逃さないで、現在の学習計画を一部見直すことによって、学年の中での連続性を持たせるように学習内容を考える工夫がほしい。

本校の飯田自然体験学習
 すでに何度も紹介している、本校の飯田自然体験学習は、これらの条件を完全にクリアしている、と自負しているプログラムである。
 目的の一つに、6年生たちは飯田市の郊外の『なかはたのもり』近くで拾ってきたどんぐりを発芽させて、新6年生に託す。新6年生たちは、その苗を『なかはたのもり』に植樹し、またどんぐりを拾って、持ち帰り発芽させて、次の6年生に託す。

 その繰り返しで、十年二十年という月日をかけて、広大な森を創造する。この息の長い活動ほど、夢とロマン、そして誰もが描くことのできる物語性があり、その上本物の自然体験で、しかも、連続性を持っているプログラムは、他にあまり例がないのではないだろうか。
 この自然体験のプログラムの企画と実行によって、昨年トム・ソ-ヤスク-ル企画で最優秀賞、という評価をいただくことができたのだろうと思っている。

 つい最近、このどんぐりの森を訪問したが、3年前に植樹したクヌギが1m近くに成長し、しかも、どんぐりの実をつけていた。確実に命は受け渡されているのだ。今年の6年生たちは、この新しいどんぐりを持ち帰り、発芽させるだろう。そして、来年次の子どもたちによって『なかはたのもり』に植樹される。
 20年後、30年後、今の子ども達が大人になって、自分の子どもを連れて、自分達が創ってきたどんぐりの森の自分が植えたクヌギの樹でかぶと虫を追いかける、という物語性を持った広大な夢が、私が見届けられないかも知れないが、実現する確かな手応えを感じた。

本物の生活体験
 この学習の生活の場となる大平宿は、30数年前の廃村であり、住む人がなくなった民家での3日間の生活は、確実に子ども達を成長させる。水道と電気はあるが、テレビを代表する現代生活の必需品は、何一つないという戦後間もなくの生活体験は、否応なくお互いに助け合わなければ生活ができない。
 教師とて経験があるわけではない。互いに協力することによって、教師と子どもたちとの壁が取り外されて、信頼感が強くなり、生きていくための食事の支度や、薪割りなどの仕事が、知らず知らずの間に、楽しみに変化していく。
 この体験をした子どもたちは、互いに助け合うことや自分を律する態度を身につけ、荒れたり、切れたりすることなく、小学校を卒業し、中学校でも落ち着いた学校生活を楽しんでいる。

成功の鍵は教師の姿勢
 どんなに夢とロマンを持った、素晴らしい企画であろうとも、熱意のある教師がいなければ、決してできるものではない。特に、人里はなれた自然の中で、不便な生活をしながら、本物の教育を追い求める自然体験学習にあっては、何よりも教師の指導性が大切になる。
 ここで言う指導性は、算数や国語の知識を、教え伝えることではない。子どもたちと同じ視点で物事を考え、一緒に汗を流して生活しながらも、子どもたちの質問には、瞬時に的確な答えが出せることや、課題の解決に、間違いのない示唆のできる、いわば豊かな人間性と言っても良いものである。
 これが本来、教師が持たなければならない、最も大切な資質ではないだろうか。教師の一番大きな喜びは、何といっても、子どもたちの成長である。子どもの成長する姿を見ること、その成長の手助けを、確実に自分がしている、という意識を持てた時、まさに教師冥利につきる至福の時であるはずであり、その至福の喜びを、素直に感じることができる教師でありたい。
 宿泊体験は教師の負担が大き、という風潮がある。確かに大変であることは事実であるが、子どもの成長を喜べる、教師冥利を本当に味わえる教師によって、運営されることによって、より価値のある学習に発展する。このことを肝に銘じて、教師を育てなければならない。

校長の意識改革
 しかし現実には、教師冥利を味わうどころか、その日のだけを無難に過ごそうとする教師が多いのが現実である。このような教師に、自信と誇りを与えるのが、本来ならば校長の仕事になるのだろうが、昨今の校長を見ると、校長になるのが目的で任用されたら、毎日が平穏でありさえすればよい、というタイプが存在することも悲しい事実である。

 校長が先頭にたって、本物の自然体験学習を企画し、運営することが重要で、そのためには日頃から、自分の生き方に自信を持ち、企画力と実行力を磨いて、常に前向きな姿勢で児童生徒、保護者、地域、教育関係機関に対して自信と誇りを持って発言し、教育改革の旗手になる意志を持ってほしい。
 校長が、自然体験がなによりも大切だ、という強い意志で、強いリ-ダ-シップで引っ張れば学校は間違いなく変わる。中には、算数や国語のテストの点が心配だから、自然体験などする時間がない、などという意見を持つ者も多いが、これでは自然体験は絶対に進まない。
 このような校長の学校では、時代の趨勢で、体験学習をしなければならなくなったとしても、偽の自然体験しかできなくなるだろう。

本物の自然体験の必要性
 自然体験が、今の教育に絶対に必要なことは、だれも否定しない。体験の中から、生きた知恵を体得する、これが、今もっとも重要視しなければならない視点である。
 そのための『総合的な学習の時間』だったはずである。
 しかし、学力低下という、私にいわせてもらうならば、無駄な論争によって、『総合的な学習の時間』の意義が曖昧になり、方や補習(基礎学力の充実と称して)と、こなた英語に走り出し、『総合的な学習の時間』を、真面目に模索している学校が少なくなってしまった。
 一流の大学生達が、快楽を求めて犯罪を起こしたり、小学生を含む少年少女達が、信じられないような犯罪を起こしたり、事件に巻き込まれたりするのも、実体験の不足から、自分を律することができないことや、相手の立場に立てないことが原因である、と言っても過言ではないだろう。
 教育の力によって、このような傾向を、根本的に解決するという強い意志をもたなければならない。そのためには、本物の自然体験が必要であると確信している。

自然体験を広げるために
 私の立場では問題が大きすぎて、発言しても効果がないことには違いないが、教師の免許制度や、研修制度の改革を進めなければならないと考えている。今の教職免許は、ペ-パ-テストで採点できる知識の集積が、大きな要素となり、実際に自然体験などしなくても得ることができるようになっている。そして、一度免許を習得し教師に採用されると、とりたてて勉強しなくても、指導書通り教えていれば、教師が勤まるというシステムが、間違いではないだろうか。
 教員免許に、自然体験という単位を課し、大学で教えられなければ今発展している各地の自然学校に委託して、何回かの自然体験活動を義務づけるような、抜本的な免許法の改正が必要だと考えるのは、決して私だけではないはずである。

 もう一つが、教員の研修制度である。最近研修、研修と大騒ぎしているが、その内容は教育相談や人権講座、そしてそれ以上に人気なのは、コンピュ-タの技術の習得が多い。これらの研修を軽視するわけではないが、コンピュ-タなどは、自分で必要にならなければ、あまり意味がない。教育相談の大事さは理解できるが、それ以前にやらなければならないことや、身につけなければならないことが、たくさんあるはずである。
 私は、それが、自然と接する態度であり、自然に対する知識や知恵の習得だと、確信している。草花の名前や、動物の生態を自然から学ぶこと、また、植物の栽培など、実際に自分で汗を流して習得していくことが、教員としての資質向上につながる、と信じているが、いかがだろう。



■バックナンバー
私の実践している自然体験活動 第1回
私の実践している自然体験活動 第2回
私の実践している自然体験活動 第3回
私の実践している自然体験活動 第4回
私の実践している自然体験活動 第5回
奥多摩での2日間~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~ 第1回
奥多摩での2日間~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~ 第2回
私の実践している自然体験活動 第6回
私の実践している自然体験活動 最終回
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(1)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(2)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(3)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(終)

■著者紹介

杉原 五雄
1943年京都生まれ。富士電機通信製造(株)を経て、横浜国立大学教育学部卒業。
1968年東京都の小学校教員となり、現在、渋谷区立中幡小学校校長。
著書に「畑と英語とコンピュータ」などがある。
http://village.infoweb.ne.jp/~sugihara/main.htm