~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~第2回 著者 杉原 五雄


おはよう
 午前6時少し前、最初の子どもが起き上がる。つられるように次々と起き出す子どもたち、全員6時30分には全員元気に『おはよう』と布団から抜け出した。雨もすっかりあがって小鳥の声が賑やかである。目の前の山の姿に見入っている子どもも多い。
 保護者が心配していた夜尿などの失敗は何もない。中村教頭は一人ずつ『すごい!泊まれたね』と一人ずつと握手をして褒めている。嬉しそうな、そして、誇らしげに手を差し出している子どもたちの顔は、それこそ神様のように輝いている。

鳥の声をまねする子どもたち
 着替えて宿舎の散歩にでかけ、東京よりかなり遅れて満開になっているアジサイや、大きなヤマユリを見つけて近寄って観察をはじめる子どもや、鳥の声をまねする子ども。人にも車にも全く会わない、まるで奥多摩の自然を中幡幼稚園が独占したような、実に豊かな充実した至福の一時であった。

 宿舎に戻って朝食をいただく。メニュ-はオムレツ、のり、納豆、サラダ、タクアン、ご飯、味噌汁である。小学校の林間学校で利用する日光の一流、と言われているホテルより、はるかに美味しく子どもたちのことを考えた食事である。料金も半額とあっては、日光に何故こだわっているのか、不思議な気がしてならない。

昨日伐った木でおみやげ作り(木工細工)
 朝食がすむと、昨日伐った木を使っていろいろな工作をする体験が始まる。舞台は宿舎のすぐ裏山の作業小屋であるが、50人ほどが一度に木工細工ができるスペ-スはあたり前としても、本格的な炭焼き釜が二基あって、いつでも炭焼き体験ができる、とのことである。竈も備えつけられているので、飯田の大平宿と同じように、50年前の生活にタイムスリップすることも可能である。
 この活動のインストラクタ-は、岡部さんと小峰さん『よろしくお願いします』のあいさつで始まった。まずは、昨日伐ったヒノキの丸太の皮むきである。丸太を組み合わせた簡単なやぐらの上に、昨日伐ったばかりのヒノキの木を固定して、縦に切り目を入れて、一斉に皮を剥がす作業である。
 ヒノキは、この季節はどんどん水を吸い上げているので、樹皮がはがれやすくなっているとの説明を受けて、園児たちでも簡単に皮が剥がせるそうである。岡部さんの指示で、グル-プごとに力を合わせて力を入れると、まさにつるん、という表現がぴったりのように、樹皮がはがれ、真っ白な木肌が現れる。

樹皮を剥がすプログラム
 私は今まで何回か間伐経験があるが、樹皮を剥がすようなプログラムをしたことがなかったので、この体験はまさに初体験である。樹皮を剥がされたヒノキの木肌は真っ白で、手で触ると、ぬるぬるとしている。しかし、気持ちが悪いぬるぬるではなく、手に吸いつくような滑りと、冷たい感触が伝わってくる。ヒノキの心地よい香が花を刺激する。思わずぬるぬるとした手を顔にこすりつけてしまう。
 子どもたちも、「冷たい」「ぬるぬるしている」「すごく良いに匂い」などといいながら、手をこすり合わせたり、手を鼻に近づけて匂いを確かめている。岡部さんは、丸太の年輪に注目させて、切り口の輪になっている部分の説明をはじめた。

声を張りあげて年輪を数える
 「この輪のようなものを年輪って言うんだよ。そしてこの輪は一年に一つ増えていくんだよ。この木は何年たっているのだろう。数えてごらん。」と指示を出してくれた。子どもたちは夢中で「23」「30」「41」などと声を張り上げているが、同じ木なのにどうしてこんなに違うのと、疑問が出た。

 これはすごい。数を数えること自体曖昧さがあり正確でないことは当然ながら、あまりにも違いすぎことに注目できたことは、素晴らしい発見である。早速岡部さんは「木はね、地面から栄養をすって大きくなるので、木の下の方から成長するのだよ。だから上の方にいけばいくほど、後から生れることになるので、年輪の数は少ないのだよ。41と数えた人は木の下の方を、23と数えた人は、木の上の方を数えたんだ、と思うよ。だからみんな正解だよ。」とまとめてくれた。

この国の将来も捨てたものではない
 子どもたちには少し難しく、理解できたとは思わないが、それでも、昨日自分たちと力比べをして、チェンソ-で切り倒されたヒノキが、生れて40年以上のたっていることは分かっただろうし、樹木の力強さや自然の偉大さには気づいたのではないだろうか。
 私もしていなかった体験を、この子たちは幼稚園でできたことの意義は大きく、森林や樹木に対して、あるいは自然環境に対して興味関心を持つ大人となってくれるだろう、と思うと、わが国の将来も捨てたものではない、と豊かな気持ちになってしまう。

『鉛筆立て』作り
 一通り木肌の『すべすべ』を楽しんだ子どもたちは、次のメニュ-である『鉛筆立て』作りに挑戦する。これは、すでに乾かして半分に切ってあるヒノキの材木を、一人ずつ鋸で10cm程度の長さに切る作業からはじめる。
 鋸は真っ直ぐ持って、自分のおへその方に引くこと、引く時に力を入れてゆっくり切ること、木屑がでていれば確実に切れている、ことなどを教わって、それぞれが鋸で切りはじめる。全て一人だけで切れることは当然ながら、できるだけ大人は手を出さないで、ゆったりと見守っていると、かなりのことができるものである。

 切れた木片は切り口や角を紙やすりで滑らかにして、穴を明ける部分を考え印をつけて小峰さんのところに行って、ドリルで穴をあけてもらう。これで出来上がりなのだが、穴のあける場所や数などそれぞれの個性が出ていて、見ていると思わず吹き出してしまうような作品も出来上がる。
 鉛筆立て作りに無龍で取り組んでいる合間に、岡部さんはすっかり皮を剥かれて裸になった丸太を、チェンソ-で厚さ2cmぐらいに輪切りにして、思い出の絵を描く板を作っている。
 チェンソ-での切り口は粗く、そのままでは角がささくれ立っているので、私は切り出してけばだった部分をけずり、絵が描きやすいようにするためのお手伝いである。

思い出いっぱいの素敵な作品
 19人の子どもたちは、マジックインクやクレヨンや、クレパスなど用意した材料で、それぞれの思い出いっぱいの素敵な作品を仕上げている。お姉ちゃんや、お兄ちゃんにも渡したいので、2枚作った子どももでてきた。
 中村教頭は、子どもたちの様子を見守りながら、ヒノキの樹皮を集めている。どうするのか聞いてみたところ「昨日、ヒノキの樹皮で編んだ籠を見せていただいたのですよ。皮ははじめ色が落ちるのですが、しばらくすると、乾いて籠を作る材料によいそうなのです。幼稚園に持って帰って、籠を作ってお母さん方に見せたいのですよ。」とのことである。

 自分の作品を作り上げた子どもたちは、中村教頭のお手伝い。意味は分からないのだろうが、きっと大切なものに違いないという、教頭との日頃の信頼関係が、このような姿になるのだろう。これもなかなか絵になる光景である。

 昼食時宿舎で、実際にヒノキの樹皮で編んだ籠を見せてもらったが、なるほど味のある優しい表情をした籠であり、大量に仕入れて作ったら、ひょっとしたら商売になりそうだなどという冗談も飛び出して、大人たちも心から楽しんでいるようだ。

 ゆっくりと過ぎ行く時間の中、急ぐこともなく木工細工を楽しんだ後は、最後の食事である。昼食は子どもたちの最も好きな『カレ-ライス』である。デザ-トのゼリ-と共に、ほとんどの子どもたちは、ぺろりとたいらげている。中にはお変わりがほしそうな子どもやお皿までぺろぺろなめて、すっかりきれいにしてしまう子どもまで現れて、引率の教師たちはついつい微笑んでしまう。

年少のクラスを思いやる
 記念写真を撮って、いよいよ『栃寄り家』とお別れである。思い思いの言葉でお礼とお別れのあいさつを言っているが、中でも「来年、ほし組(年少組)の友だちがきたらよろしくね。」という言葉には、思わずぐっとくるものがあった。
 きっと今回の素晴らしい体験が、幼稚園で続くものと信じているのだろう。年少のクラスを思いやる心も確実に芽生えている。これは来年、より素晴らしい体験活動をしなければならない。私をはじめ教師たちの嬉しい課題である。

奥多摩の大自然ありがとう。そしてさようなら。
 『奥多摩の大自然ありがとう。さようなら。』という言葉と気持ちを持って、帰りのマイクロバスに乗り込み、奥多摩駅に向かう。そのたった15分の間に、もうすやすや寝てしまっている子どももいる。
 全くといって手のかからない子どもたちなので、私たちが予定していたより、はるかに手際よく準備が整ったり、団体行動がとれるので、予定より早く奥多摩駅に着いた。このまま予定の電車に乗るには、30分以上待つことになる。
 駅員に確かめたところ「乗車はかまわない。ただ、青梅で乗り換える電車が特別快速ではなく、普通の快速である。それさえ承知ならばどうぞ・・・。」ということなので、本園の誇る臨機応変対応で、一台早い電車に乗り込む。

目頭に光るものが
 青梅駅に着くと、隣のホ-ムにすでに東京行きの快速電車が止まっているので、すぐ乗り込んで座席を確保し、発車の合図を待つ。
 座席につくなり早くも夢の世界にはいる子どももいるが、ほとんどは車窓の景色を楽しんでいる。快速とはいえ、実際は各駅停車状態で、停車するたびに多くの人が乗り降りするが、全く騒ぐことなどしない子どもたちの様子に驚いた乗客はいても、誰一人として迷惑顔の人がいないので、安心して見守ることができる。
 中野駅を過ぎると、降りる支度が始まる。その頃になって、間もなくお母さんと会えるという嬉しさが、体中で表現している様子が感じられるようになってきた。同時に、ちゃんとお泊まりできた自分に、誇りを感じさせるような気配も、うかがえる。

 新宿西口の交番前に、保護者の人が集って子どもたちを拍手で迎えた。この拍手は、子どもたちだけではなく教職員も感激したらしく、中村教頭や坂本・白鳥陵教諭の目にはキラリと光るものがあった。
 最後に感激したことは、子どもたちは親の姿を見た時も、親元に誰一人として飛びつくことなく、最後まで友だちと手をつないで、『やったぞ』と、誇らしげにしている姿である。

『やって良かった』という充実感
 2日間、大きなトラブルもなく無事過ごせたことに、教頭・担任そして引率してくれた教職員はほっとしている。多分この充実感・満足感は徐々に教職員の心に、しみ通ってくるのだろうが『やって良かった』と同時に『来年からも続けていこう』という意欲になったものと信じている。
 言葉で語り尽くせないほど、大きな成果を上げて、この宿泊体験が終わったことの背景には、保護者の協力体制があったことを見逃すことができない。まだ思い切った企画を許可し支援していただいた区教育委員会、特に指導室の皆様に感謝を申し上げたい。

 最後に、この宿泊体験を、正式に『奥多摩宿泊自然体験活動』と名づけると同時に、この貴重な体験を生かして、来年度以降もより素晴らしい『奥多摩自然体験活動』を充実し発展していく決意で、レポ-トを終わることにする。



■バックナンバー
私の実践している自然体験活動 第1回
私の実践している自然体験活動 第2回
私の実践している自然体験活動 第3回
私の実践している自然体験活動 第4回
私の実践している自然体験活動 第5回
奥多摩での2日間~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~ 第1回
奥多摩での2日間~中幡幼稚園『奥多摩宿泊自然体験活動』レポ-ト~ 第2回
私の実践している自然体験活動 第6回
私の実践している自然体験活動 最終回
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(1)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(2)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(3)
平成15年度『飯田自然体験学習』レポート(終)

■著者紹介

杉原 五雄
1943年京都生まれ。富士電機通信製造(株)を経て、横浜国立大学教育学部卒業。
1968年東京都の小学校教員となり、現在、渋谷区立中幡小学校校長。
著書に「畑と英語とコンピュータ」などがある。
http://village.infoweb.ne.jp/~sugihara/main.htm