- 第9回 -  著者 立松 和平


「魚の手づかみ」

 父の生家は農村地帯にあった。肥料を商う家で、庭に用水路が引かれ、水車が回っていた。年に一度、稲刈りの前の頃、農業用水の元の水門を締めた。川干しである。
 水車のための狭い用水路の岸は石垣が組まれ、魚が暮らしやすかったせいか、ナマズがたくさんいた。農業用水のほうは誰がはいってもよかったが、水車のためにそこから引き込まれた水路は私有地だったから、身内のものしか使えなかった。

 そこで水車の用水路の入口と出口に土嚢を積み上げ、男の大人たちがバケツで水を汲みだした。もちろん父はその中の一人であった。子供の私はただ見ているだけである。
 男たちは上半身裸になり、リズミカルな動きで水を汲み出した。農業用水の方はどんどん水が少なくなり、魚を手づかみできる。人がたくさん歩くので、まるで道路のようになってしまうのだった。

 一方、水車の引込み水路は私有地なので、あわてることはない。土嚢を積み上げるのは、魚を逃がさないためである。水が少なくなると、コイやフナやアユやウナギをつかむことができたが、最も多いのはナマズであった。水が減っていくのにナマズは逃げようとして、石垣の隙間に頭を突っ込み、空中に浮かんで尻尾を振っていたりした。川底は暴れるナマズでいっぱいであった。子供たちもまじって魚を手づかみにした。

 この川魚は焼いて乾燥させ、焼き干しをつくり、味噌汁やうどんのだしに使った。しかし、そんなことより、子供には魚を手づかみすることが楽しかった。毎年川干しをするのに、毎年同じくらいは魚がとれた。

 現在、あの農業用水はあることはあるのだが、家庭雑排水を集めてドブである。あの魚たちときれいな川はどこにいってしまったのだろうと、腐臭を立てて流れる汚水を見るたびに私は思うのである。



■バックナンバー
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私の自然体験(9)

■著者紹介
立松 和平(たてまつ わへい)
1947年 栃木県生まれ。作家。
1980年 小説「遠雷」で第2回野間文芸新人賞受賞、1986年アジア・アフリカ作家会議の「85年度若い作家のためのロータス賞」、1993年「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞
1997年小説「毒―風聞・田中正造」で第51回出版文化賞など受賞。
国内外を問わず各地を旺盛に旅する行動派作家として知られ、活力あふれる描写とみずみずしい感性が、多くの読者の共感を得ている。近年、とくに自然環境保護問題に取りくみ、積極的に発言している。
最近の小説に「ラブミー・テンダー 新 庶民列伝」(文藝春秋)、「日高」(新潮社)、「木喰」(小学館)、紀行に「旅する人」(文芸社)、絵本物語に「虹色の魚」(河出書房新社)など。