- 第7回 -  著者 立松 和平


「小ブナが湧いていた」

 父の実家は宇都宮の南側にある村である。私にとっての従兄のセイちゃんは、私の家に遊びにくる時、自転車に乗りながら片手でバケツをさげてきてくれた。水をこぼさないようにそろそろと自転車をこいでくるのだが、どうしてもこぼれてしまい、ズボンの裾のあたりがびっしょりになっていた。

 その水の中には、小ブナがたくさんはいっていた。ぶつかりそうなほどにたくさんの小ブナである。私の家には父がつくってくれたコンクリートの水槽があって、金魚などを飼っていた。小ブナをいれると、水槽は急に賑やかになった。ずいぶん揺れただろうに、小ブナは案外に元気で、腹を上にして浮いているというようなこともない。水槽にいれると、そこは昔から自分の家だったとでもいうように泳いだ。私はセイちゃんとならんでいつまでも水槽の中を眺めていた。

 あの頃、今から四十年も前のことであるが、小ブナは湧くといったほうがよいくらいにたくさんいた。田んぼの畦道の横幅が三十センチほどの水路に、流れをせきとめるように網をいれる。枝をU字にして、その中に張った網である。流れの上流から水路にはいってじゃぶじゃぶと歩いていくと、追われた小ブナが網にはいるのだ。ドジョウや、ナマズの子や、ザリガニなどもはいった。バケツ一杯の獲物をとることなど簡単であった。セイちゃんはその中から小ブナだけを選んで持ってきてくれたのだ。

 あの小ブナやドジョウやナマズはどこにいってしまったのだろう。田んぼがあり稲がたわわに実っているのだが、水路はコンクリートのU字溝になっている。田んぼには殺虫剤がたくさん使われて、虫もいない。当然魚に影響がないわけではない。

 小ブナが湧くように帰ってきた時、田んぼの自然が本当に甦ってきたといえるのであろう。



■バックナンバー
私の自然体験(1)
私の自然体験(2)
私の自然体験(3)
私の自然体験(4)
私の自然体験(5)
私の自然体験(6)
私の自然体験(7)
私の自然体験(8)
私の自然体験(9)

■著者紹介
立松 和平(たてまつ わへい)
1947年 栃木県生まれ。作家。
1980年 小説「遠雷」で第2回野間文芸新人賞受賞、1986年アジア・アフリカ作家会議の「85年度若い作家のためのロータス賞」、1993年「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞
1997年小説「毒―風聞・田中正造」で第51回出版文化賞など受賞。
国内外を問わず各地を旺盛に旅する行動派作家として知られ、活力あふれる描写とみずみずしい感性が、多くの読者の共感を得ている。近年、とくに自然環境保護問題に取りくみ、積極的に発言している。
最近の小説に「ラブミー・テンダー 新 庶民列伝」(文藝春秋)、「日高」(新潮社)、「木喰」(小学館)、紀行に「旅する人」(文芸社)、絵本物語に「虹色の魚」(河出書房新社)など。