- 第6回 -  著者 立松 和平


「トマト泥棒」

 真夏の川で遊んでいると、喉が乾く。もちろん水を飲めばそれでよいのであるが、川岸の向こうにはトマト畑があり、真赤なうまそうな色で輝いている。あれを食べたいなあと思う。しかし、畑になっているものであるから、とれば泥棒である。
 そこで川ガキは自分たちの中だけの勝手な規則をつくった。畑の一番外側の真赤に熟したものだけはよろしい。ただし、一人二個までである。

 「泥棒にも一分の理」という言葉があるが、真赤に熟したトマトは食べれば一番おいしいものではあっても、出荷して商品にはならない。店にならぶ前に腐ってしまう。完熟したトマトは自家消費するしかない。だが農家で食べる量などたかが知れているし、畑はあまりに広い。それなら川ガキが自家消費を手伝ってやろうということだ。
 どんなにいってもこれは泥棒であるにせよ、盗られても実害がまったくないように、相手のことを考えていたのだ。そこまで考えたすえに、やっとトマトをいただいた。

 一人二個までというのは、見つかった時、両手に一個ずつ持って逃げやすいようにしているのである。もちろん、必要以上に盗って無駄にしてもいけないと考えた。
 トマトは川の端に石で囲いをつくり、そこにいれて冷やした。幾つも水の中に浮かんでいるのに、どれが自分の食べるべきものなのか、よくわかった。
 畑に忍んでいくのはスリルがあって楽しかったが、トマトをもいで走るのは心が痛いのだった。

 今になっても、トマト畑からトマトを失敬したことを、私は言い訳するために、改めてこうして書いているような気分になったのであった。



■バックナンバー
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私の自然体験(2)
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私の自然体験(9)

■著者紹介
立松 和平(たてまつ わへい)
1947年 栃木県生まれ。作家。
1980年 小説「遠雷」で第2回野間文芸新人賞受賞、1986年アジア・アフリカ作家会議の「85年度若い作家のためのロータス賞」、1993年「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞
1997年小説「毒―風聞・田中正造」で第51回出版文化賞など受賞。
国内外を問わず各地を旺盛に旅する行動派作家として知られ、活力あふれる描写とみずみずしい感性が、多くの読者の共感を得ている。近年、とくに自然環境保護問題に取りくみ、積極的に発言している。
最近の小説に「ラブミー・テンダー 新 庶民列伝」(文藝春秋)、「日高」(新潮社)、「木喰」(小学館)、紀行に「旅する人」(文芸社)、絵本物語に「虹色の魚」(河出書房新社)など。