- 第6回 - 著者 立松 和平
「トマト泥棒」 真夏の川で遊んでいると、喉が乾く。もちろん水を飲めばそれでよいのであるが、川岸の向こうにはトマト畑があり、真赤なうまそうな色で輝いている。あれを食べたいなあと思う。しかし、畑になっているものであるから、とれば泥棒である。 そこで川ガキは自分たちの中だけの勝手な規則をつくった。畑の一番外側の真赤に熟したものだけはよろしい。ただし、一人二個までである。
一人二個までというのは、見つかった時、両手に一個ずつ持って逃げやすいようにしているのである。もちろん、必要以上に盗って無駄にしてもいけないと考えた。 トマトは川の端に石で囲いをつくり、そこにいれて冷やした。幾つも水の中に浮かんでいるのに、どれが自分の食べるべきものなのか、よくわかった。 畑に忍んでいくのはスリルがあって楽しかったが、トマトをもいで走るのは心が痛いのだった。 今になっても、トマト畑からトマトを失敬したことを、私は言い訳するために、改めてこうして書いているような気分になったのであった。 ■バックナンバー 私の自然体験(1) 私の自然体験(2) 私の自然体験(3) 私の自然体験(4) 私の自然体験(5) 私の自然体験(6) 私の自然体験(7) 私の自然体験(8) 私の自然体験(9) ■著者紹介 立松 和平(たてまつ わへい) 1947年 栃木県生まれ。作家。 1980年 小説「遠雷」で第2回野間文芸新人賞受賞、1986年アジア・アフリカ作家会議の「85年度若い作家のためのロータス賞」、1993年「卵洗い」で第8回坪田譲治文学賞 1997年小説「毒―風聞・田中正造」で第51回出版文化賞など受賞。 国内外を問わず各地を旺盛に旅する行動派作家として知られ、活力あふれる描写とみずみずしい感性が、多くの読者の共感を得ている。近年、とくに自然環境保護問題に取りくみ、積極的に発言している。 最近の小説に「ラブミー・テンダー 新 庶民列伝」(文藝春秋)、「日高」(新潮社)、「木喰」(小学館)、紀行に「旅する人」(文芸社)、絵本物語に「虹色の魚」(河出書房新社)など。 |