![]() ![]() ![]() - 第8回 -著者 小西 浩文
アルゼンチンへ ![]() 11月上旬、登山隊は、約28時間のフライトの後、アルゼンチンに到着した。ヴエノスアイレスでは、2泊のみで、アコンカグアの麓のメンドーサに向かう。洗練された都会のヴエノスと違って、メンドーサは、緑が多い落ち着いた街である。これは良い所だと思ったのも束の間、私を待っていたのは、メンドーサにある、今回のアコンカグアの現地エージェントの<アイマラトレック>との、うんざりする様な話し合いであった。 ディレクターがブチ切れそう スペイン語が話せるドキュメンタリー・ジャパンのディレクターが、夏に2回、計2ヶ月間、南米でロケハン、ミーティングを行っていたにも関わらず、話はかなりズレていた。先ず、入山からして、今シーズンは、雪が多いので、まだベースキャンプのホテルも、オープンしておらず、誰もベースキャンプとなる、プラサ・デ・ムーラス(4000m)さえにも行っていないとの話である。入山は、可能なのかどうか確認しても、ミューラ(ロバ)は不可能だが、ポーターは可能かもしれない、が、確かではない・・・云々。輸送には、軍隊のヘリコプターを使えと、やたらとヘリのチャーターを勧める。どうも我々相手に駆け引きをしていて、最後はドキュメンタリー・ジャパンのディレクターがブチ切れかける様な話し合いとなる。 「俺達の生きる世界」に入る メンドーサで3泊滞在するが、連日15時間以上の徹夜のミーティングとなる。何とか、エージェントと話をまとめて、ベースキャンプへのキャラバンのスタート地点となる、プエンテ・デル・インカに移動する。 いよいよ、キャラバンの開始である。初日から、予想以上の強風の中を歩く。メンドーサでは、半袖だったのが、いきなり冬山完全装備となる。ネパールのトレッキングでは、全く余裕の無かった西田さんも、我々と合流する前に、3週間、南米大陸を北から南に縦断してきて、4000メートル以上で撮影を行ったせいか、快調である。登山隊隊員は、全員が、南米は、初めてで、成田出発前から盛り上がっていたが、山に入ると盛り上がりつつも、やはり顔が引き締まり、雰囲気が変わる。私も含めて「俺達の生きる世界」に入ったからだろう。まるで水を得た魚のように、野生の動物が檻の中から大自然に解き放たれたように。 チーフ・ガイドを解雇 キャラバンは、順調に進んだが、4日目に数十人いるアルゼンチン・スタッフのリーダーであるチーフ・ガイドを解雇する。彼は初めから、ミューラの輸送等でインチキをやっていて、それが発覚する度に、厳重に注意してきたが、今度インチキをやったら解雇するよ、と警告していた。そして最後のゴマカシが、発覚した時は、自ら、山を降りる羽目となった。この件で、一気にアルゼンチン・スタッフは、引き締まる。大らかで明るく陽気だが、その反面、かなりいい加減なところがある、ラテン気質は、私は決して嫌いではない。しかし、今回の様な、一億円以上のお金をかけて、何十人という人間の生命が、かかる様なプロジェクトでは、当然だが、私は、決して妥協は、しない。 途中、砂川が体調を崩して、奥田が付き添い、プエンテ・デル・インカまで降りるという出来事もあったが、何とか順調にベースキャンプに到着する。2日後には、砂川も元気になって、ベースキャンプに入ってきた。 厳しさの中に楽しさや笑いがあり、楽しさの中に厳しさがある ベースキャンプからは、アコンカグアが、右上方に聳えている。まるで、スキーリゾートの様な、洒落たホテルがあり、快適な所である。この頃になると、登山隊は、まるで一つの生き物の様に機能しだしていた。登山隊には様々なタイプがある。軍隊の様な縦社会の登山隊から、各自がバラバラで、己の責任のみで登るというチームなど、色々あるが、概ね、日本の登山隊は暗く閉鎖的であるという印象を私は持っている。それは、私が嫌いなものの一つであった。私は、30代後半から、登山隊で、自分がリーダーである場合、厳しさの中に楽しさや笑いがあり、また楽しさの中に厳しさがある、という山登りを心掛けてきた。そして何よりも、先ず自分が、先頭で行くという事を実行してきた。何事もリラックスしていなければ、100%の力は出せない。構えれば構える程、気は滞る。心の下作りを常に忘れず、此処一番で、思いっ切り集中すれば、良い。私は、常々そう感じている。 ベースキャンプで、一週間滞在して、5000メートルまでの高所順応をこなして、上部に移動する日が、来た。ベースキャンプ入りして、当初は不調だった西田さんも、調子は上がってきている。出発する日の朝、スタッフ全員で、ミーティングを行う。その場で宇佐美、奥田を副隊長とする旨を発表した。今日から上部に上がって、おそらくアタックが、終わるまでは、ベースキャンプに戻ってこないだろう。私は、軽く丹田に気を入れた。 ■バックナンバー ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ■著者紹介 小西浩文(こにし ひろふみ) 1962年3月15日石川県生まれ。登山家。 ■登山歴 1977年 15歳で本格的登山を始める 1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂 1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂 1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録 2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中 ☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ ☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず ■その他 1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演 1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー 1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演 1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演 1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000 |