- 第1回 -著者 小西 浩文


 2002年4月28日、朝、ネパール・ヒマラヤのマナスル山(8163m) の7000m地点にあるC3(第3キャンプ)に私とシェルパのディンディはいた。猛烈な強風で足止めをくらい既に2泊している。吹き溜まりでは、太股に達する程の積雪だ。「どうする、ディンディ?」と、テントの入り口を開けて蒼空が広がる外を見ながらネパール語で問いかける。
 既にBC(ベースキャンプ、5000m)以上で9日間も行動していた私には、下る選択しかなかった。しかし下りるには一つ大問題があった - 雪崩である。かなりの新雪が積もった大斜面に踏み込んだら雪崩を引き起こす危険性が充分にある。
 「下りれるんじゃないかな? パラサーブ(隊長)」。現在23歳でチベットのチョーオユー(8201m)に3回の登頂経験を持つ彼は強気である。
 しかし、その彼の発言に私は一抹の不安があった。それは長い経験を必要とする雪のコンディションを見極める眼だ。
 午前7時になった。BCとの定時交信の時間だ。BCにはネパール屈指のサーダー(シェルパ頭)であるパルテンバがいる。無線機を通じて彼に問いかける、「サーダー、今、下りるかどうか迷っているよ」「双眼鏡で見ているけれど雪崩の跡は見えない。ゆっくりと慎重に下りたらどうだろう」
 高倍率の双眼鏡でBCから上部を見たサーダーが答えた。確かにトライするしかない。明日の天候がよい保障はどこにもない。
 「ディンディ、慎重に下りるか」、準備をして外に出た私たちはロープを結び合う。これで、7~8mの間隔をあけて同時に下りることが出来る。C3を少し下ったところから急峻な大雪壁を下りることになる。こいつが先ず大問題だ。
 しかしディンディは全く躊躇うことなくドンドンと下りていく。「ディンディ!!もっと慎重に下りろッ!」 - 雪という非常にデリケートな一種の生き物に不必要なショックを与えるのは最悪である。
 しかし、私の叫びは強風にかき消されて、彼には届かずドンドンと下りていく。と、いきなり彼の姿が雪煙とともに吹き飛んだ。雪崩だ!! ビュンッとロープが吹っ飛んでいく。絶対に止める。ロープを握り締めた瞬間、私は恐るべき重量を全身に受け、頭から落ちていった。途中、1回バウンドして足から落ちる。もう1回バウンド、仰向けになり頭が下になった状態で猛烈なスピードで落ちる。不思議と恐怖感は無い。
 しばらくしてスピードが落ち、両手を張って身体を止めた。すぐザックの背負いバンドから手を抜いて、私は起き上がった。「ほら、俺は死なないだろう」 - 信仰以上に自分の強運を確信している私は、そう心の中でつぶやいた。すぐにディンディを探すと、少し離れたところに雪に埋まっていた。「しっかりしろ」。彼を掘り起こすと、失神していた彼はうめきながら意識を取り戻した。
 この時の滑落のショックで頚椎、腰椎を著しく痛めてしまった私は、その後、山頂へのアタックを試みて7700mまで2度到達したが、登頂まで至らなかった。
 だが、世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢は、果てしなく続く。



■バックナンバー
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(1)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(2)
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世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(18)
世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指す私の夢(終)

■著者紹介

小西浩文(こにし ひろふみ)
1962年3月15日石川県生まれ。登山家。
■登山歴
1977年 15歳で本格的登山を始める
1982年 20歳でパミールのコルジュネフスカヤ、コミュニズムに連続登頂
1982年 中国の8000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1997年 7月ガッシャブルム1峰(8068m)無酸素登頂に成功し、日本最高の8000m6座無酸素登頂を記録
2002年 世界8000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中
☆ 世界8000m峰14座無酸素登頂記録保持者は現在2人。メスナー(イタリア)とロレタン(スイス)のみ
☆ 89年のハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章の受賞が決定するが、ソ連崩壊により授章式は行われず
■その他
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
1986年 フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000