- 第3回 - 著者 大蔵 喜福


「自然の中の自由な遊びが、好奇心と興味を呼ぶ」
 私たちの子供のころは、遠足や普段の遊びで山や川によくいきました。親も「あまり遠くに行くなよ、危ないことはするなよ」程度の掛け声だけ、そううるさく管理もされなかったと記憶しています。
 自然は知らないことを教えてくれる教科書です。そこでの自由な遊びが、私にいろんなことを教えてくれたわけです。知らず知らずに身についた事柄のなかに、人が生きていく上に非常に大切なものをたくさん学びました。 

 登山に関して今、学校でどういった規制があるか知りませんが、例えば川で泳ぐことなど、子供達だけで自然を遊ぶことは危険と見なされ禁止されていると聞いています。教える側が技術的に未熟だったり、出来る人がいないなど対応しきれない実状もありますが、子どもは自然のなかで遊んでこそいろいろ学べると信じている私としては何か間違っているような気がします。

 現在の学校教育の環境下では、管理された自然の中でしか遊ばせることはできませんという考え方が主流ですが、その考えを改めてほしいと思うものです。本当に身に付いた学習をするには体験あってこそです。自然のなかで遊ばせることは単に危険ときめつけ、軽薄な理由で子供の遊びを奪っているのです。点数だけの勉強では子ども達もつまらないでしょう。

「学校登山のすすめ」
 教育という言葉は、広辞苑によると「教え育てる」「他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動」としています。でも英語やその原語となったラテン語のそれには隠れた才能や能力などを「引き出す」という意味があり、教えより育成・養成するという意味の方が強く感じられます。ここがわが国と欧米との違いで、基本的なところに大きな差がみえます。

 子ども達それぞれの個性的な体力・能力を、どこで何をすることによって引き出すかです。現在では私たちが子どもの頃に較べ、野外教育活動が減っているのは否めませんが、ゆとり教育の一環として、学校登山の再興もひとつの選択ではないかと考えます。

 私は小学校の日帰り遠足で3度、千mほどの高さの山に登り、中学2年生の時に中央アルプス駒ヶ岳にキャンプしながら登りました。自然と人間の生活が近い距離にあった40年ほど前に比べると集団登山を実施している学校の数ははるかに減ってきていますが、その野外教育の必要性を認め残っているところも多々、見受けられます。
 以前はその目的が団体行動での規律や体力、精神力の育成といったことでしたが、今ではわざわざ遠くまで自然に会いに行くということの比重が大きくなったようです。

 ではなぜ学校登山が減ってきたのか、意義は理解できていても、大自然相手に実践するには大きなリスクを学校側が負うからです。リスクマネージメントができないのです。教育委員会や学校当局、PTAが引率の難しさや、不都合が起こった場合の責任問題、受験偏重体質などに押し切られ、ことなかれ主義に陥っていくわけです。だから、安易な野外活動でお茶を濁しているのが実情です。

「リスクの分散をはかる工夫を」
 さて、子ども達を山にどう連れていくか。責任を誰がどうとるかといった問題がいつも表面化しますが、それにはリスクの分散を図ることが一番です。依存ばかりではなく、親と学校、そして子ども自身も責任のあり方を再考することです。とくに学校に預けたという親御さんの考え方、何か事が起こっても責任逃れを考える学校側、これではまったく事は動きません。
 荒々しい言葉づかいになりますが、「責任はとれないのだ」という所から出発しないと、自然のなかでの教育は成り立ちません。とれない責任問題を表に出すからうまく行かないわけです。責任は誰が何が贖うかではなく、とれる体制をつくることをしないと無理なのです。

 そのために外部の組織をつかうという必要性が発生します。専門の登山ガイド(日本山岳ガイド連盟(http://www.jfmga.com)や講師にお願いすればいいわけです。
 ある一貫教育の有名私立学校は、夏休み登山学校の歴史を60年もこのかたちで積み重ねて来ています。現在は昔とちがって登山ガイド等が雇いやすく安全対策がたてやすい状況にあります。
 塾や登山・アウトドアースクールなどでこのような野外教育を実施しているが、小中学校で行うのが一番良いと思っています。文部科学省とそれぞれの教育委員会は専門家・ガイドを講師として雇い入れるなどの抜本的な改革を検討してみてはいかがでしょうか。



■バックナンバー
自然体験活動のすすめ「山に登ってみよう」(1)
自然体験活動のすすめ「山に登ってみよう」(2)
自然体験活動のすすめ「山に登ってみよう」(3)
自然体験活動のすすめ「山に登ってみよう」(4)
自然体験活動のすすめ「山に登ってみよう」(5)最終回

■著者紹介

大蔵喜福(おおくら・よしとみ)
1951年長野県飯田生まれ。クリエイティブディレクター、著述業/登山家。
20代は岩壁登攀でヨーロッパ、アメリカに。'79 年には世界初のヒマラヤ縦走登山(ダウラギリ三山縦走) に成功。30代はヒマラヤ厳冬期登山にこだわる。冬のチョモランマ北壁に二度挑戦。'85 厳冬期最高到達地点〔8450m〕記録をつくる。 '87秋チョー・オュー(8201㍍) では無酸素登頂。40代はマッキンリー気象観測のため12年連続して登頂。カヌーでの瀬戸内海初横断、朝鮮海峡横断などユニークな記録も持つ。海外登山、辺境トレッキング等は50数回におよび、多角的にアウトドアスポーツを楽しみマルチに山を遊ぶ活動は精力的で、雑誌、テレビ、ラジオ、講演でも活躍。'00 年、マッキンリー気象観測が評価され、第三回秩父宮記念山岳賞を受賞。著作「エベレストのぼらせます」小学館 '00、「地球元気村遊びテキスト-山の遊び方-」旬報社 '01など多数。