著者 節田 重節


 9月上旬、北アルプスの燕岳(つばくろだけ、2763m)に登ってきた。〝高山植物の女王″コマクサの群落と白い花崗岩のオブジェで知られる名山で、槍ヶ岳に至る「表銀座縦走コース」の起点としても知られている。また、山頂直下にある燕山荘(えんざんそう)は、山岳雑誌の人気投票で全国1位になった大人気の山小屋で、この山小屋を目的として登って来る登山者も多い。
 標高1462mの登山口、中房温泉(なかふさおんせん)から2712mに建つ燕山荘までは標高差1250mで、〝北アルプス三大急登″の1つと言いわれる合戦尾根(かっせんおね)の急登が待っている。このユニークな名前は、平安時代初期、坂上田村麻呂の東征の折、この地の豪族であった魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)を退治した古戦場がこの付近にあったという伝説にちなむ。

 平日であったが、この尾根を大変多くの登山者が行き来していた。中高年登山者はもちろんのこと、若者のグループや山ガール、ファミリー登山者、そして意外にも多かったのが海外からの登山者で、特に韓国の人が多かった。私自身、学生時代から数えて約60年、何回となく上り下りしてきた合戦尾根だが、すれ違う登山者の多様さにびっくりした。
 前述したように、燕山荘が人気の山小屋だけにあらゆる層の登山者が登って来ており、これが北アルプスの普遍的な状況とは思わないが、2000年ごろから登山界の裾野が広がり、登山者層が多様化してきていることは認識していたが、その現状を目の当たりにした想いであった。
 かつて北アルプスの山々を席巻していた中高年登山者はこの多様化の波に飲み込まれ、あまり目立たない存在となっていた。しかし、いわゆる「中高年登山ブーム」のきっかけは、この燕山荘から始まったと言っても過言ではない。

 「セツダさん、最近やたらにおじさんやおばさんが山に登って来て、弱っているんですよ。大勢来てくれるのはもちろんありがたいんですが、特におじさんは、あまり山をよく知らないくせに下界での人生経験や肩書を振りかざして威張るんで、正直困っているんです。彼ら向けのテキストでも作って、なんとかしてくださいよ。」
 山と溪谷社での現役時代、燕山荘のオーナー・赤沼健至さんからこんな電話をもらった。1977年ごろのことではなかろうか。時あたかも日本の人口の高齢化が叫ばれ始めたころで、中高年にとっての生きがいとは何かとか、定年退職後のライフスタイルをどう確立するかなど、様々な論議が交されていた時代であった。その中で秘かに人気が高かったのが山登りだった。ところが、登山の入門書や技術書は、基本的に初心者イコール若者を対象に作られていることが多く、そう言われれば、中高年ビギナー向けの登山の手引き書は、今までなかったように思う。赤沼さんからの電話に編集者としてのアンテナが感応し、「これは、いけるかもしれないぞ!」と閃いた。

 1980年10月、そうして生まれたのが栗林一路著『中年からの山歩き入門』(山と溪谷社刊、定価1,000円)だった。いわゆる「中高年登山もの」の嚆矢(こうし)となった記念すべき一冊で、初版1万部が1ヶ月で売り切れ、即重版となった。この結果を受けて、その後も中高年向けの登山ガイドブックやMOOKを作り続けていったが、ブームとも言える盛り上がりがはっきりと見えてきたのは、NHK-BSで放送された『深田久弥の日本百名山』からだった。
 かくして「第3次登山ブーム」とも言える「中高年登山ブーム」が起こり、それに「日本百名山ブーム」が重なって登山者層の拡大とポピュラー化が一気に進んでいったのである。それから四十数年、合戦尾根を行き来する登山者を見ていると昔日の感があり、この多様化は、もはや「第4次登山ブーム」と呼んでもいいのではなかろうかと思う。
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■著者紹介

節田 重節(せつだ じゅうせつ)
日本ロングトレイル協会 会長
1943年新潟県佐渡市生まれ。中学時代に見た映画『マナスルに立つ』や高校時代に手にしたモーリス・エルゾーグ著『處女峰アンナプルナ』を読んで感激、山登りに目覚める。明治大学山岳部OB。㈱山と溪谷社に入社、40年間、登山やアウトドア、自然関係の雑誌、書籍、ビデオの出版に携わり、『山と溪谷』編集長、山岳図書編集部部長、取締役編集本部長などを歴任。取材やプライベートで国内の山々はもとより、ネパールやアルプス、アラスカなどのトレッキング、ハイキングを楽しむ。トム・ソーヤースクール企画コンテスト審査委員。日本ロングトレイル協会 会長、公益財団法人・植村記念財団理事など登山・アウトドア関係のアドバイザーを務めている。