第4回 『ターゲットはインバウンド』 著者 安藤 伸彌(安藤百福センター事務局)


ルートの詳細化
 その後、2018年6月に「JAPAN TRAIL制作委員会」(のちに「提唱委員会」に変更)が発足し、より具体的な検討を始めた(加盟トレイルの関係者は利益相反になる可能性があるので、入っていない)。この中で、メインは原則一本線でいくこと、南は開聞岳から、北は知床(羅臼岳)までとすることなどが合意された。ただ、委員会では細かなところまで決める時間がないため、2019年1月、委員の有志を中心に、ルート案検討の合宿を行うことになった。
 集まったのは、山と溪谷社の元編集長や山岳ガイドなど、国内の山岳地に詳しい面々であった。インバウンドにも誇れるポイントはどこか、地図を広げながら検討する。九州では霧島、椎葉、高千穂、阿蘇、くじゅうなどが挙がり、中国地方では比婆山や大山、近畿では氷ノ山、美山、北陸では荒島岳や白山、そして北アルプスを縦走し、浅間山、戸隠、尾瀬、日光などを経て、東北は蔵王、月山、鳥海山、八甲田山(ただし、みちのく潮風トレイルがあるので、ここは二本線となる)、北海道はニセコや羊蹄山、十勝岳、トムラウシ、阿寒・摩周、斜里岳などとなった。
 これでおおよそのイメージが固まったと言えるが、ここからさらに詳細なルートに落としていく作業は、事務局に任せるという。信任されたのか、放任されたのか定かでないが、ここからは孤独な作業の始まりだ。

 ルートの詳細化に当たっては、加盟トレイルをできるだけ通すこと、長距離自然歩道を活用することなど条件があるが、何よりユーザー目線で「歩いてみたい」と思える道でなければならない。
 トレイルというと、登山より易しいもの、と思う人もいるかもしれないが、必ずしもそうではない。何日も縦走するとなると、日帰り登山よりも重装備になるし、高低差があって歩きにくいトレイルもある。何より世界的な基準で見れば、日本の登山道(積雪期を除く)はほぼトレイルと言っていい。よって多少きつい所があっても満足度が高く、歩き甲斐のあるルート設定にする必要があるだろう(こう書くと「初心者を見捨てるのか?」と思われるかもしれないが、満足度を高めるために上限を下げないだけであって、初心者でもレベルに合ったコースを歩いてもらえば良い)。
 その一方で、世界のロングトレイルを見ると、ずっと山岳地帯を歩くことはほぼなく、数日から1週間程度で街に下りる(下りられる)ようになっている。これは長いトレイルほど物資の調達や休息が必要なためで、数回に分けて踏破する「セクションハイク」でも必要不可欠だ(私事で恐縮だが、アンデスで10日分の食糧とテント一式を担いで歩いたときには、初日の登りがあまりにきつくて苦痛でしかなかった)。例えて言えば、田中陽希氏(日本ロングトレイル協会アドバイザーでもある)の「グレートトラバース」のように、数日間山域を縦走したら里に下り、また次の山に登っては下りる、といったところが現実的である。
 また、加盟トレイルや景勝地を巡れば巡るほどルートが曲がりくねり、無駄に長いトレイルになる恐れがある。加盟トレイルはできるだけ通すものの、あまりにクネクネするのは線引きとして美しくない。そこでイメージ図をベースに、忖度ないルート設定を行うことにした。

 こうした方針を踏まえて、ルートを具体的な道に落とす作業に入る。加盟トレイルはもちろん、登山道、長距離自然歩道、その他のトレイルや遊歩道などを確認し、まるでパズルを組み立てるように繋いでいく。登山道に関しては、最新の登山地図を参考にするとともに、登山用アプリのログデータも参照し、可能な限り正確になるよう努めた。何もない繋ぎの区間も当然あるが、なるべく車の通りが少なく、かつ一本道として使えそうな所を選び(とは言うものの、これはあくまで机上の話で、地形などを参考に想像したに過ぎないので実地調査が必要)、地図も複数のものを照合して、道があることを確認しながら延ばしていった。
 それと並行して、ルートを地図上に線引きする作業を進める。こちらは将来的にアプリでの閲覧を想定していたため、国土地理院地図のwebサイトを使って、点を繋いで線を延ばしていく。webサイト上で最も拡大できるのが1/2,000相当(一般的な地形図や登山地図は1/25,000)なので、それをベースにできるだけ正確に線を引くが、あまりに近接するためときどき縮小して、全体として間違いのないよう注意しながら進めていった。
 この作業は単調だが、とても時間がかかる。まして総延長が1万kmにもなるJAPAN TRAILだと、作業量は膨大だ。毎日地図と睨めっこしながら粛々と作業するしかないのだが、ここで新型コロナウイルス禍に見舞われた。主催事業の中止、研修利用のキャンセルなどの対応に追われる中、仕事に余裕ができたと思われたのか、こちらの作業をどんどん行えという。一方で残業しないよう言われていたので、相矛盾する指示に困惑したが、とにかくできるだけ急いで作業を進めた。
 この過程でより良い道を見つけ、ルートの変更を行うこともあった。加盟トレイルのルートが変更になれば反映し、新しいトレイルが判明すれば追記していった。また、沖縄や奄美、富士山も加えた方が良いという話になり、新たにルートを設定した(特に沖縄は、本州のような山岳地帯があるわけではなく、遺された古道も少ないので難渋した)。こうして現状のルート案ができ上がったのである。



■バックナンバー
JAPAN TRAILが生まれるまで(1)
JAPAN TRAILが生まれるまで(2)
JAPAN TRAILが生まれるまで(3)
JAPAN TRAILが生まれるまで(4)

■著者紹介

安藤 伸彌(あんどう のぶや)
1973年、東京都多摩市生まれ。自然体験活動推進協議会(CONE)事務局を経て、2015年より安藤百福センター勤務(日本ロングトレイル協会事務局も兼務)。日本山岳ガイド協会認定自然ガイド。近年は浅間山や高峰山などの古道(信仰の道)の復活に尽力している。