第1回 著者 安藤 伸彌(安藤百福センター事務局)


 今からおよそ5年前の2017年秋、日本列島を縦断する「JAPAN TRAIL構想」が産声を上げた。当時はまだ、日本ロングトレイル協会の加盟トレイルが20足らずであったが、それらを繋ぎ合わせて一本道をつくれないか、という中村代表理事の発案であった。
 中村代表も書いているが、この発想自体は目新しいものではない。「長距離自然歩道」は1970年から全国で整備が進んでおり、総延長距離は約2万7,000kmに達する。また、日本山岳会は2005年、創立100周年記念事業として「日本列島中央分水嶺踏査」を行っている。
 海外に目を転じれば、アメリカの「トリプルクラウン」ことアパラチアン・トレイル(AT)、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンティネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)は20世紀中に設定されているし、2011年には、ヒマラヤの山々を貫く「グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)」と、ニュージーランドを縦断する「テ・アラロア」(マオリ語で「長い道のり」)が相次いで開通。最近注目を集める「ヨルダン・トレイル」も、2015年の誕生だ。

 JAPAN TRAIL構想に一日の長があるとするなら、既存の加盟トレイルがあることだろう。「列島縦断」「日本一周」となれば、トレイル・ハイカーにとってはある種の憧れになるかもしれないが、これだけ長距離となると、全てを管理・運営するのは不可能であり、既存の道を繋いで設定するしかない。その点、加盟トレイルを活用できればルート設定が行いやすいうえ、加盟トレイルの活性化にも繋がる。総論として反対する理由は見当たらない。
 この構想を聞かされたとき、私個人としても興味深い話だと思ったので「いいんじゃないですか」と答えた(と記憶している)。そのときには、まさか自分の身に降り掛かることになるとは思わず……。本稿では、ここからいかにルートを具体化していったか記してみたい。



■バックナンバー
JAPAN TRAILが生まれるまで(1)

■著者紹介

安藤 伸彌(あんどう のぶや)
1973年、東京都多摩市生まれ。自然体験活動推進協議会(CONE)事務局を経て、2015年より安藤百福センター勤務(日本ロングトレイル協会事務局も兼務)。日本山岳ガイド協会認定自然ガイド。近年は浅間山や高峰山などの古道(信仰の道)の復活に尽力している。