第2回 『山嫌いから「山旅」へ』 著者 安藤 伸彌(安藤百福センター事務局)


 実は私自身、かつては山登りが嫌で、敬遠していたことがあった。小学生のとき、山ヤであった父に連れられて白馬岳や富士山の登山、塩見岳~北岳の南アルプス北部縦走を行ったが、正直良い思い出は残っていない。記憶にあるのは、白馬岳から欅(けやき)平(だいら)に下る途中、シカの糞が多過ぎて遅々として進めなかったこと、富士山では山小屋に泊まれず、やむなく道端で仮眠していたら鼻水が凍ったこと、塩見小屋で水汲みに行かされたら、とんでもなく遠かったこと(往復50分)……。そのため小学6年のとき、(親戚の家があるのを口実に)2週間余りの九州独り旅を敢行したときも、山に登ることはせず、鉄道やバスを繋げて移動する旅に終始したのだった。

 転機が訪れたのは、大学院のとき。かねてより「知らない世界を見てみたい」と思っていたところ、後輩が旅行に行ったと聞いて、北海道を独り旅しようと思ったのだ。大雪山、知床、阿寒・摩周などを訪れたが、その雄大で美しい景観に惚れ込んだ。と同時に、観光名所から少し奥に入るだけで、さらに素晴らしい景色が広がることに気づいてしまった。これが私とトレイルの出会いである。
 それからしばらく北海道に通い詰める一方、海外にも目を向けるようになり、「地球の箱庭」と呼ばれるニュージーランドに行ってみた。これは、就職すると長期休暇を取れるのが年末年始しかなかったので、南半球が良いだろうという考えだったが、「世界一美しい散歩道」ミルフォード・トラックやルートバーン・トラックなどを歩くことで、すっかりトレイルに魅了されてしまった。

 その後、30歳を前に後悔しないようにと仕事を辞め、バックパッカーとなって世界旅行に出かけた。そして足掛け3年余り、各大陸を3~4ヶ月ほどかけて周遊し、時間の許す限りトレイルを歩くことになる。ロッキーやアンデス、パタゴニア、アルプス、ヒマラヤなどの山脈の名峰を仰ぎ見、その神々しい姿に圧倒された。また、特に南米やアジアでは、人々の生活や文化に触れ、新たな魅力にも気づくことができた。期せずして「山旅」を体験していたのだ。
 この旅を通じて、海外(特に欧米)の旅行者のトレイル事情も分かった。彼らにはトレイルを歩く文化が定着しており、長期旅行の中で様々なトレイルを歩いていた。日本人旅行者は、たまに団体ツアー客とすれ違うぐらいであったが、欧米の旅行者は(ときに心配になるぐらい)気軽に歩いており、日本人が知らないような秘境にも、多くのハイカーが訪れていた。
 同時に、日本の良さにも気づくことができた。ヒマラヤやアンデスのような圧倒的な景観や、アラスカなどの原生自然は少ないものの、たおやかで優しい山並みが続き、冬でなければ気軽に登山ができる。また、里山の風景も美しい所が多い。ちょうどこのころから日本でもロングトレイルが盛んになり、山旅のスタイルとして注目されるようになっていたので、今度はこうしたトレイルを歩いてみたいな、と思っていたところ、縁あって今の仕事に就くことになったのである。(続く)



■バックナンバー
JAPAN TRAILが生まれるまで(1)
JAPAN TRAILが生まれるまで(2)

■著者紹介

安藤 伸彌(あんどう のぶや)
1973年、東京都多摩市生まれ。自然体験活動推進協議会(CONE)事務局を経て、2015年より安藤百福センター勤務(日本ロングトレイル協会事務局も兼務)。日本山岳ガイド協会認定自然ガイド。近年は浅間山や高峰山などの古道(信仰の道)の復活に尽力している。