第1回 (財)安藤スポーツ・食文化振興財団


 (財)安藤財団主催の『トム・ソーヤースクール無人島冒険キャンプ』が、千葉県鋸南町(きょなんまち)沖の浮島で開催され、33名の子ども達が参加した。この無人島冒険キャンプは、ライフラインが何もない無人島という環境の中で、子ども達がいかに生活し、創造的な活動を行なうことができるかを目的にして計画された。

 浮島は鋸南町の勝山海岸の沖にある、周囲およそ800mの無人島だ。周囲は高さ50mの切り立った崖で囲まれ、その上にモモタナマ(シクンシ科モモタマナ属)などの巨木の森と小さな草原がある。



 浮島は現在は無人島であるが、『伝説の島として景行天皇(けいこうてんのう 在位期間71年7月11日~130年11月7日)が浮島に行幸した』といわれている歴史がある。詳しくはhttp://www.town.kyonan.chiba.jp/kyonan-tyousi/densetu/ukisima.htmに掲載されていて、島の様子について、以下のように書かれている。

『勝山海岸からおよそ10町余、周囲7町12間、高さ200尺、面積本島6,216坪、属島大小170坪余。あたかも波上に浮ぶがごとく、ゆえに名づくという。昔は鵜来島と書いたこともあった。
 東南を除いては、断崖海にのぞんで削るがごとく、竹樹その上に茂り、眺望広かつまさに絶景というべきである。南に属島2、大ボッケ島、小ボッケ島という。昔は三島の巌脈は連続し、そのあたりにトンネル様の穴が2つあった。東南岸には10余隻の漁船を引くべき小浜があり、砂中には大蛤を生じたが、中古地震かつ風浪のため崩壊し、現状の三島となり、大小の岩石がこの小浜をみたしたといわれる。
 古老言う「岩角崩壊の際、多くの古土器が出現したことがあり、景行天皇行幸のみぎり、御親祭に用いられた祭器である…。又もと藩士岡田文左衛門、かつて古土器を得、家宝としていたが明治31年6月浮島神社に奉約した」と。神鏡一体は天皇の奉約とも伝える。』


 また、鋸南町のHPには民話として、浮島についての記載がある。
『むかし、デーデッポという雲をつくような巨人がいました。富士山に腰かけ、うち海(東京湾)で顔を洗ったというこの巨人は、ある時、海上を一またぎにして房州にやって来ましたが、すぐ上総の方へ行ってしまいました。
 その時、一つせきばらいをしたところ、のどから飛び出したのが、勝山の浮島であると言われます。』
(一部抜粋)

無人島へ渡る
 こんな無人島で8月10日から12日まで、2泊3日の冒険キャンプが行われた。無人島といっても、誰でも利用できるわけではなく、今回は所有者から特別の許可を得て上陸ができた。また、島には釣り人やクルーザーのための埠頭や、景行天皇を祀る神社があり、人の手が加わっているものの、住民はなくいまは完璧な無人である。もちろん、水はまったくない。

 さて、子どもたちは3回に分け、鋸南港から予約しておいた小さなボートで島に渡った。まだ、このころは、無人島は実感できない。何か楽しそうだ、多少は不安はあるものの、みんないるから「どーってことない」という表情だった。漁協の屋根の下で昼食を食べる表情にも余裕があった。しかし、船に乗り込んでからは、状況は変わりはじめた。
 渡し舟船で、潮のしぶきを浴びながら、およそ10分で浮島に着いた。自分たちの荷物だけでなく、食料、水、テントなど生活用具の荷揚げをしなくてはならない。荷揚げは、一気に標高差60mを登る、大変つらい作業だ。岸壁に刻まれた階段は、およそ200段。しかも勾配は急で、大人でもかなりのアルバイトである。実はこの階段の登り下りが、この島で子どもたちが一番つらい経験だったと、あとで思い知らされることになる。

島の探検
 島の中心部に設けられた本部に集結した子どもたちは、キャンプディレクターやカウンセラーからのオリエンテーションを受け、5つのグループに分かれて、早速、それぞれの活動に入った。子どもたちの活動については、細かいプログラムは決められておらず、島の探索、野営地の決定や食事などは、それぞれのグループで決めるようになっている。グループにはカウンセラーが付き添っているが、基本的にはアドバイスと安全管理のみが仕事である。

 島の探検がはじまった。モモタナマの巨木に覆われているので、その下は風が吹きぬけて案外涼しい。このころになって、さらに子どもたちの表情が変わってきた。大きな鳥の羽が落ちているし、見たこともない巨木があり、すぐ近くではウミネコが鳴いている。不安そうだ。『ここは無人島で、陸続きではない』『もう帰れない』というのが現実になった。

野営と食事
 探検のあと、ようやく今夜の野営地が決まった。森の中のグループ、草原のグループなど、野営地の場所はまちまちだが、よく見てみると、なぜか窪地に設営というのが共通点だった。そのほうが安心なのか。私たち大人とは少し違うことに気がついた。



 テントを張り終えると、次は夕食の準備だ。食材は本部から支給された豚肉、野菜、スープの素などを使って、中華なべひとつで作る。ここで島の埠頭まで、早速水を汲み作業がまっていた。ペットボトルを抱えて、標高差60mの往復である。息が切れる難行だ。



 マッチをはじめて擦るこども達、包丁をはじめて使う子ども達、それでもなんとか料理が完成し、ほっと一息。おなかはすいているのだが、不安と緊張、それに疲れが出たのか支給された量で、十分満足な様子だった。

 水がないので、食器はトイレットペーパーでふき取るだけ。もちろん、手を洗うのも最小限の水しか使えない。シャワーなんてとんでもない。おそらく参加した子ども達にとって、こんな経験ははじめてではないだろうか。

 しかし、これからが無人島冒険キャンプの本番である。テントもない、ライトもない、そんな24時間が明日から始まることを,知っている子どもたちは少なかった。(つづく)

主催 (財)安藤スポーツ・食文化振興財団
運営・指導 NPO法人国際自然大学校
文・写真 中村 達



■バックナンバー
トム・ソーヤースクール無人島キャンプ(1)
トム・ソーヤースクール無人島キャンプ(2)
トム・ソーヤースクール無人島キャンプ(3)