- 第2回 - 著者 広瀬 敏通


 4月から続いていた中・高校生など、学校団体の自然教室が、ようやくひと段落を迎えようとしている。今年も何とか無事に終えることが出来そうだ。

 思い起こせば、私たちが最初の学校プログラムを行ったのが1984年だった。当時は学校の生徒に良質な自然体験なんてとても無理だと考えられていた。
 なにしろ学校は閉鎖的で保守的。新しい試みはなかなか受け付けない。まして自然界での実体験だなんて危険じゃないかと一蹴された。まれに関心を持ってもらえても、学年単位でやってくる。プログラムの最小単位は1クラスの人数だ。おまけに予算がない。教師じゃなくて専門の指導者がつくといっても300円がようやくだった。どうあがいても赤字だ。

 だから自然体験のプログラムは、宿泊や食事、入園料など、他の名目と抱き合わせでなければペイしない。ところが私たちは純粋に自然体験プログラムだけで取り組んだ。
 赤字でも意地を張ってきたのは、当時から力を入れてきた子どもキャンプでの経験があったからだ。『遊牧民キャンプ』と呼んできたこの実験的なキャンプには全国からたくさんの子どもたちがリピーターとして集まってきた。

 しかし、この子らは自然の中で過ごし、気の合う仲間といることを好み、かつ、決して安くはない参加費を払いながらもここにやって来ることのできる子どもたちだ。
 一方で、まったくこうした機会すら持てずに、つまり、指導者のついた自然体験活動なんて考えたこともない子らが圧倒的にいるはずだ。どこにいるのか。それは学校だった。

 私たちが四苦八苦しながらも取り組んできた学校向けのプログラムだったが、それは永いこと、環境教育の世界からも自然学校の仲間からも理解されなかった。
 なにしろ、クラス単位といっても40人。数が多すぎる。しかも学校行事で仕方なくやってくる生徒たちに自然界での感動があり得るのか?という疑問だった。
 事実、荒れた学校と称される都市部の公立中学の先生からは、『プログラムが成り立たない場合もありますので、先にお詫びしておきます』と言われたりした。

 でも、実際にプログラムが成り立たなかったケースは過去1件もない。むしろ、茶髪、銀髪の子らが無邪気に目を輝かせてついて来た。
 今まで大人の足元を見透かしてきた子らが、短時間でも本格的な自然のほんとうの楽しみ方には心をサッと開いてくれた。こんな体験は初めての子ばかりだった。

 今年もたくさんの礼状やファンレター?が来ている。学校の自然教室が縁で自然学校に就職したものもいる。プログラム費も5~6倍になって赤字は出なくなった。いまや全国の自然学校では、学校向けプログラムを当たり前におこなっている。
 でも、懸念も生まれてきた。あちこちの地域振興で修学旅行などの誘致が盛んになり、その呼び水として自然体験プログラムをたくさん揃えている。しかし、学校を誘致する理由は収益率のよさにあると言ってはばからない。
 けれどそれだけじゃないだろうと言いたい。大人の役割として学校の子どもたちに関わってほしいと心から思う。



■バックナンバー
自然学校の現場から(1)
自然学校の現場から(2)

■関連情報
ホールアース自然学校

■著者紹介
広瀬 敏通(ひろせ としみち)
1950年生まれ。ホールアース自然学校 代表。
1982年に「ホールアース自然学校」を設立し運営にたずさわる。自然学校と自然体験教育の分野では草分け的存在の一人で、国内外で探検、自然調査活動などを幅広く行っている。
同校は国内では有数の自然学校で、年間に学校や企業などから6万人以上が研修を受けている。
(社)日本環境教育フォーラム常務理事、自然体験活動推進協議会理事上級トレーナー、環境省・田貫湖ふれあい自然塾塾頭など。
著書に「子供に伝える野外生活術」「自然語で話そう」、共著「日本型環境教育の提案」など。