第2回 「ロングトレイルの苦難」著者 木村 宏


 「ロングトレイル」という言葉が、日本のアウトドア市場に登場してから四半世紀が過ぎようとしている。
 北米やカナダなどのネイチャープログラムとして、さらに起源をたどれば自然保護活動のための道、守るべき自然環境を見て回る道として使われたのが自然の小径、すなわち「トレイル」である。そもそもハイキング(Hiking=長い道のりを歩くこと)という行為を行うための道のことを指し、長い道のりの意味を付け足し「ロングトレイル」と呼ばれるようになったと考えられる。

 であるが、何キロ以上がロングなのかという定義は存在しない。北海道においては、新得町のヨークシャーファームというペンションのオーナーがパイオニアとなって、普及活動が進んだフットパスが道内各地に整備されているが、ロングトレイルの概念は十勝地方の清水町から上士幌町と鹿追町にまたがる然別湖までを結ぶ約100kmの「十勝ロングトレイル」構想がその起源であろう。

 もちろん大雪の縦走路や増毛山道などの古道も、長い道のりを歩くルートとしては古くから存在しているが、歩くための道というよりは、峰々のピークハントを目的とした縦走路や、生活物資を運ぶための手段であり、歩くこと自体を楽しむために訪れる「ロングトレイル」とは一線を画しているといっていいだろう。近年、ウォーキングやトレッキングといった「歩くこと」を主体としたレジャー層が増えている。健康趣向、自然回帰趣向、中高年の低山ハイクブームなど背景は様々ではあるが、コロナ禍の密を避けてのアウトドア趣向も相まって、日本各地のロングトレイルの利用者は増加傾向である。

 そのようなブームを外に、北海道内で閉鎖を決めたトレイルがある。「北根室ランチウエイ」、通称KIRAWAYである。ひがし北海道の牧草地帯を縫って、その雄大な大地や格子状防風林と呼ばれる国有林を横切り、シマフクロウの生息する森にたたずむ養老牛温泉や、阿寒摩周国立公園内の摩周湖外周ルートを進む70㎞を超えるロングトレイルである。
 中標津、たんちょう釧路、女満別の3つの空港を結ぶことを構想し、起点の中標津町内から、JR釧網線の美留和駅までの道のりは、ハイカーを一時も飽きさせることのない変化に富んだトレイルである。かつてはマンパスと呼ばれる牧場に出入りするための柵があり、クマよけの鈴がぶら下がった柱や道しるべ。さらに小川に架かる橋などがセンス良く的確に配置され、歩く人の安全を支える工夫が随所に見られる整備の行き届いた素敵なトレイルである。私も何度もその道歩きを楽しんでいる。当然ブームに乗って本州や四国、九州そして海外からもその評判を聞きつけハイカーがやってきた。しかし、こんな盛況ぶりとは相反し、多くの人がやってくるが故の問題も発生した。北海道の一大酪農地帯でもあるこの地が故の防疫に対する住民の意識(口蹄疫問題が世を賑わせたことも記憶に新しい)がハイカーの行動に向き始めたころから、トレイルの運営者である牧場主と近隣住民(こちらも牧場主)の軋轢を生んだのだ。

 ルートは牧場を避けるように何度もリルートされ、ハイカーへ呼びかける掲示も多くなってきた。また、運営する牧場主の高齢化も輪をかけた。自治体や、観光協会、熱烈なファンなどもその論争に関心を寄せ、それぞれなりにできることを探ったりもしたものの、なかなかいい解決策が見つからなかったのも事実である。
 そんな矢先のコロナ騒動勃発によって、動き始めた地元の若手経営者たちの運営組織作りもとん挫した。2020年秋、運営の陣頭指揮をとっていた牧場主は「ランチウエイ全面閉鎖」を宣言した。ロングトレイルは、沢山の人が歩けばそれでいいわけではない。いくら魅力ある風景や諸々の資源があっても、これらをつなぐための仕組みがなくては存続しえない。それもその距離が長ければ長いほど強固な体制が必要なのだ。自治体はもちろんのこと、そこに暮らす住民や、そこから利益を得る人たち、迷惑を被ることを危惧する人たち、そして無関心な人も含め、地域にロングトレイルがあること、地域を通過していくことを理解し、不安なことがないよう話し合い理解し合う体制づくりが必要だ。

 ランチウエイの美留和駅起点に接続して、屈斜路湖、津別峠、美幌峠を結び藻琴山を経由して女満別空港につなげようとトレイルづくりに取り組む若者たちがいる。阿寒摩周国立公園内にトレッキングルートを作り阿寒湖から釧路につなげようとする動きも環境省が主体となって始まった。15年前に英国の牧場を貫くロングフットパスに感激し、一念発起し、がむしゃらに道を延ばしたランチウエイの先駆者が思った構想が、また一つ現実のものになろうとしている今、ランチウエイの復活を願っているのは、きっと私だけではないであろう。北海道、いや日本を代表するトレイルといっても過言ではない「北根室ランチウエイ」の再出発を祈念したい。



■バックナンバー
北海道のアウトドア雑感 1
北海道のアウトドア雑感 2

■著者紹介

木村 宏(きむら ひろし)
東京都生まれ
北海道大学 観光学高等研究センター 教授
信越トレイルクラブ 代表理事、日本ロングトレイル協会 常務理事、日本トレッキング協会 理事
大学卒業後ホテル・リゾート開発会社の勤務を経て、長野県に移住し宿泊施設の経営の後、飯山市の観光推進組織において滞在型の自然体験施設、温浴施設、道の駅、新幹線飯山駅内の観光施設やアクティビティーセンターの立ち上げに関わるなど施設運営や観光まちづくりに取り組む。信越トレイルやみちのく潮風トレイルの立ち上げにも関わり、ロングトレイル、トレッキングの普及活動にも従事する。2016年から現職。