日本ヨット発祥の地であり、さまざまなマリンスポーツの拠点としても知られる神奈川県葉山町。三浦半島の西北部に位置し、相模湾の向こうに富士山を望むことのできる絶好のロケーションのもと、老若男女を問わず多くの人が日常的に海に親しむ暮らしを送っています。
2021年にこの町に開校した「Telacoya 旅する小学校」では、沖縄の伝統的な木造舟・サバニを授業に取り入れています。そのサバニを漕いで、沖縄本島のビーチから離島を目指す……というプロジェクトが、子どもたち自身の思いによって実行されました。
ひとつの目標に向かって仲間とひた向きに努力する姿、また、さまざまな思いを抱きながらも挑戦する様子が多くの学びをもたらした企画として高く評価され、2024年度の「第23回トム・ソーヤースクール企画コンテスト」(現・安藤財団 自然体験企画コンテスト)で、一般部門の優秀賞に選ばれました。
水曜日の朝9時。葉山町の大浜海岸には、平日にもかかわらずサーフィンやシーカヤックを楽しむ多くの人が集まっています。その中に、20人ほどの子どもたちの集団があります。「Telacoya 旅する小学校」に通う子どもたちです。今日は、この海岸が教室。子どもたちはここに登校し、ここで一日を過ごして、15時になればここから下校します。
Telacoya 旅する小学校は、公教育とは異なる独自の教育理念・方針で運営されている「オルタナティブスクール」と呼ばれる学校です。各自が自由に過ごすフリースクールとは違って一定のカリキュラムが設けられ、「新たな選択肢の学校」として近年注目されています。
一般社団法人Telacoya921代表理事の中尾薫さんは、幼稚園教諭として25年あまりのキャリアを積んだのち、理想の保育を追求したいと考えて、日常的に海や山に出かけて遊ぶ認可外幼稚園を2011年に設立しました。そしてコロナ禍を機に、より自然の中で時間を過ごしながら学べる場として、2021年に旅する小学校を開校したのです。
「生きることの基礎的な部分を『旅』と表現し、①自分で決める、②自分と仲間の旅であること、③スケジュールの準備と実行、④経済と地球のバランスを考える、という4つの原則を教育方針に据えています。学年の違う子どもたちが一緒に活動し、上の子が下の子に教える『たて割り教育』ですが、目指すのは子どもも大人も学べる『ホールスクール』です」
「海は命の危険と隣り合わせですが、だからこそ教育に向いている」と話す中尾さん。葉山の自然を生かしたカリキュラムには、ヨットやシーカヤック、海の生き物観察、鳥の観察などが組み入れられ、プロセイラーやネイチャーガイドなど多くの専門家が特別講師として参加しています。給食は子どもたち自身が作り、年に2〜3回は1泊から3泊ほどの旅にも出かけます。
幼い頃から海やマリンスポーツに親しみ、そこから多くを学んだと話す中尾さんが、小学校を始めるにあたって「絶対に授業に取り入れたい」と考えていたのがサバニです。沖縄の伝統的な木造舟であるサバニは、とにかくチームワークが重要なのだと中尾さんは説明します。
「サバニは、『エイク』と呼ばれるパドルで漕ぐほかに、帆で風を受けたり、乗っている人がバランスを取ったりして前に進みます。だから、ただ乗っているだけの人でも役に立っている。自分も、誰か他の人も、役に立っていない人なんていないことを、いちばんリアルに感じられる授業だと思っています」
授業は、サバニを出航できる状態に組み上げるところから始まる。子どもだけで完了できるようになるのが目標だが、かなり時間がかかることも。サバニに乗らない子どもたちはビーチで給食を準備する。
中尾さんが所属する「葉山サバニ俱楽部」の協力を得られたことから授業をスタートさせましたが、サバニに乗るか乗らないかは子どもたち自身が決めると言います。週1回のサバニ授業の日は全員が海岸に集合し、ビーチで開かれる朝の会でひとりひとりの意思を確認するのです。
あくまでも子どもたち自身の意思を前提とし、大人から勧めることはしません。そのため、まったく興味を示していなかった子がある日突然「乗ってみたい」と言い出すこともあれば、「絶対に乗らない」と言ってマネージャーに徹していた子は1年経って乗るようになったそうです。
その後、全員で「艤装(ぎそう)」と呼ばれる出航準備に取りかかります。子どもたち同士で教え合いながら帆を取り付けたりロープを絞めたりし、準備ができたら、子ども2〜3人に大人2人が同乗して海へ出て、10分ほど漕いだら戻って交代……を繰り返します。
時には、サバニを転覆させて元に返す練習をするほか、雨の日にはロープワークやサバニの歴史・構造などを学ぶ座学も行うそうです。また、サバニに乗らない子どもたちは、浜での給食づくりを担当します。
海面と非常に近く、海と一体になれる点もサバニの大きな魅力。なかには「漕がない」と宣言する子もいるが、それも自分で決めることだという。待っている間、砂浜にサバニを描いて練習をする姿もあった。
「自分で決める」ことを何よりも大切にする旅する小学校では、個々の活動に具体的な目標は設けず、本来、サバニにも目標はありませんでした。2024年、卒業生の住む久高島まで沖縄本島のビーチからサバニで渡ろうと決めたのも、子どもたち自身でした。
その距離は9キロほどで、条件が良くても2時間以上かかります。天気図や海図も学んで自分たちで旅の計画を立て、週末や夏休みも使って練習を重ねました。しかし、技術も経験もまだまだ不足していたため、中尾さんたちは「渡るのは無理だろう」と考えていたそうです。
一方、子どもたちは、サバニを通して互いに命を預け合って海に出ることを理解し、チームとしての自覚も芽生えていったと言います。ただ、当日乗れる人数は限られていたため、乗りたい気持ちと自分の力量、そして仲間の安全という狭間で、苦しい葛藤を経験することにもなりました。
迎えた当日は、台風の影響を受けて風速13メートルという強烈な向かい風。「安全第一」とわかっていても、やはり「行きたい」と強く望む子がいたため、大人が同乗して海へ。40分漕いでも数メートルしか進まず、あっという間に出発地点に戻ってしまいましたが、それでも、子どもたち自身が望んだチャレンジを実行できたから失敗ではない、と中尾さんは振り返ります。
全員が強い思いを持っていただけに、決行前は感情の揺れ動きがすごかったと中尾さんは回想する。当日は、帆で進む組(トップ写真)と漕いで進む組に分かれて挑んだが、数メートル進むだけで精いっぱいだったという。
明けて2025年度。当初プロジェクトの中心だった子どもたちは卒業しましたが、残った子たちが当然のように久高島を目指すと語ったことから、継続が決定。昨年の経験から時間が足りないという自覚が子どもたち自身にもあるそうで、次のチャレンジは来年を予定しています。
「小さな子どもにも意思はある」と話す中尾さんは、それを伝えるために、常にフラットでいることを心がけています。やると決めた子どもだけでなく、「やらないと決めた君も素晴らしい」という姿勢を見せるのです。そのうえで、「本人の気持ちが満ちるのを待ちます」。
「自分で決めるには、自分がどうしたいかを考えなければいけません。小さいうちは周りの影響を受けやすく難しいかもしれませんが、3年生にもなれば一気に『やりたい』が芽生えてきて、それに向かって自分から行動を起こそうとします。自分がやりたいことのためだから漢字も覚えるし、計算も覚える。だから、子どもに興味が生まれた瞬間を見逃さないことが重要なのです」
低学年の頃にはこだわりの強さが際立っていた子は、次第にそのこだわりの強さが良い方向に発揮され、いまではリーダーシップを発揮するまでに成長しました。自ら進路を定め、学習塾にも通って「勉強が楽しい」と話しているそうです。その姿は、中尾さんやスタッフが自信を深めることにもつながっています。
旅する小学校の定員は現在24人。ひとりひとりに目を届けるには、規模を大きくするのは難しいと中尾さんは言います。「オルタナティブスクールはまだまだ行政の支援がないため、理解してくれる支援者を増やして安定的に運営することが今後の課題です。こうした賞をいただけたことは、そうした場面での後押しにもなってくれるので、本当にありがたく思っています」
「学校も船」と話す中尾さん。海と子どもたちへの思いを胸に、新たな学びの場を提案するべく漕ぎだしたその船には、これからも多くの子どもたちが乗り込んでは、それぞれが自分自身の船を見いだして旅立っていくことでしょう。旅はまだまだ、始まったばかり──。
一般社団法人Telacoya921 代表理事 中尾薫さん
子どもたちの気持ちより大人の想いや希望を優先してはいないかどうか?ということです。 子どもたちのためと言いつつ、大人の想いや希望が優先されてしまうことは、企画の段階で「子どもたち不在」になっていることが多いです。何よりも、子どもたちが主体で、子どもたちの気持ちが高まってチャレンジするプログラムであるかどうか?という部分で子どもたち不在になっていないかどうかを常に問いかけるようにしています。
安全。
どんなに素晴らしいチャレンジでも、安全に対しての考え方が関わる大人が全員で一致しているべきだと考えています。自然体験活動の中での、絶対的な安全はないものの、安全に対しての意識の持ち方で、結果は大きく変わります。
最初の問いでお答えした通り、子どもたち自身が主体となって取り組む活動であることが大切にされていれば、そのモチベーションを保つことは容易であり、子どもたち自身が「次への一歩」を考え出せるようなチャンスはたくさんあると思っています。
特にはありませんが、hawaiiの伝統的なカヌー「Hokulea」の関係者から聞くたくさんの話は、自然体験活動の参考というよりは、地球の上に生きるものとしての根底の部分の教えがたくさんあります。結果的に、だからこそ必要な経験とは何か?を常に投げ変えてくれるものだと感じています。

1964年、神奈川県逗子市出まれ。20歳から幼稚園教諭として働き、次期園長の打診を受けたことを機に、自分の理想の保育を追求したいと独立。2011年に認可外幼稚園「おうちえんTelacoya921」、2021年にオルタナティブスクール「Telacoya 旅する小学校」を設立。子どもたちの「やってみたい」には「やってごらん」と返す代わり、目・耳・心で寄り添い大ケガになる手前で手を差し伸べる「寸止め教育」をモットーに、地域の子育てサポートや親子教室も手がけるほか、保育園や幼稚園のコンサルティングにも携わる。
※2024年の実施内容
【活動のタイトル】葉山と沖縄をつなぐサバニプロジェクト
【活動の目的】
· 天気図・海図をもとに旅の計画を自分たちで考えて南城市新原ビーチから久高島までのサバニ旅を実行する。
· 準備の中で沖縄の文化や歴史を知る。
· 葉山と沖縄の海の違いを知る。
· 役割の違いや得意なこと・苦手なことの違いを理解し、仲間と協力しチーム作りを学ぶ。
【主な活動場所】
· 神奈川県葉山町:Telacoya旅する小学校校舎、大浜海岸
· 沖縄県南城市:新原ビーチ、久高島
【主な活動内容】
· 南城市新原ビーチから沖縄の伝統的なサバニを漕いで、卒業生がいる久高島に渡る企画。
· 葉山サバニクラブや現地のサバニ乗りの方々に協力していただきながら自分たちで海旅の計画を決め、実行する。
· 練習(4〜10月):サバニの艤装の仕方/道具の一つ一つの意味を知って、正しく使う/天気図の読み方/海図の読み方/ロープワークの練習/サバニの歴史/旅の計画/サバニでの役割について知り、自分に合った役割を見つける
· 本番(10月22〜25日):海旅に出る前に沖縄のサバニ乗りの方からサバニの歴史などについて話を聞く/海況が良い日にサバニで南城市から久高島に渡る(台風の影響により渡りきることは断念)
【活動の特徴】
· 神聖な島と言われ、無断での上陸や乗り入れができない久高島に、卒業生の繋がり、特別講師の繋がりで特別にサバニでの上陸を協力していただけることになった。
· 現地のサバニ乗りの方と一緒に活動することで、旅する小学校内の活動で終わらせるのではなく、いずれは現地の小学校・中学校の子どもたちとも交流を持つきっかけにしたい。
· 天候・海況次第ではサバニでの上陸が出来ない場合もあるが、ただ上陸できたか出来なかったかの結果だけを重要視するのではなく、旅にでる過程を大切にしていきたい。
【参加者】
· Telacoya 旅する小学校に在籍する小学生:9人(2年:3人、3年:1人、4年:1人、6年:4人)
【指導者】
· 3〜6人(チャレンジ当日は11人)
【安全対策】
· あいおいニッセイ同和損保 学生・こども総合保険
· 学校スタッフ全員が「Emergency First Response care for children」の資格、またはインストラクター資格を保持
【装備】
· ライフジャケット・マリンシューズ・レスキューロープ・着替え用ポンチョ・ボトル・防水バッグ各種・メスティン・カトラリー・コンパス・バタフライホワイトボード・ホワイトボードペン・手ぬぐい、ファーストエイドキット一式(当校の基準による)
· サバニ(エイクー・フウ)
【発信方法】
· 雑誌(「湘南スタイル」「月刊KAJI」)
· Instagram、Facebook
神奈川県三浦郡葉山町長柄556
https://www.telacoya921.com/tabishou
写真提供/一般社団法人Telacoya921
撮影/松田麻樹
取材・構成/土居悦子
活動の発信や広報については、特に工夫していることはありません。逆にこれからもっと工夫が必要だと考えているところです。S N Sの投稿や雑誌などの記事にして頂いたりしたことを学びとして、今後はもう少し工夫し、積極的に発信していきたいと思っています。
子ども主体でありつつ、大人は常にフラットな位置でありながらも、関わる大人も一緒に楽しめることが大切だと思います。
