![]() ![]() ![]() 第2回 「国際山岳ガイドって…」著者 近藤 謙司
日本には日本の山岳ガイドの歴史があり、氷河が無くてもその険しい山を案内した先人がいます。映画「剱・点の記」や穂高連峰のウォルター・ウェストンの歴史にもみられる山案内人となった人たちです。ロープやピッケルを使って積極的に案内したわけでもなく、「ベルグ」といわれるヨーロッパアルプスの地形には及びませんが、その山を案内した人たちを総称して日本語では「登山ガイド」と呼ぶようになりました。 (公社)日本山岳ガイド協会の職能でも、そのようにコテゴリーされているので、「山岳ガイド」と「登山ガイド」という2つの似たような名前となってしまっているので、一般の人には少々わかりずらいのです。 「国際山岳ガイド」は、その中で更に海外での加盟国でもガイド活動ができるように現地のガイドと同レベルの技術とスキルを求めて設定されたカテゴリーで、主には日本に顕著に存在しない氷河や岩壁・岩稜での登攀技術やスキー技術、レスキュー技術などを求められたものです。 日本ではその氷河や十分な地形がないために海外諸国よりその道のりが厳しく、その道を選んだガイドは、登山ガイドに合格してから国際を取得するまで最短でも8年~10年の歳月をかけて努力と経験を積まなければならず、その道を歩み続けるための根気も長い研修期間も海外経験をするための財力などもかなり負担となるのです。もちろん旅行添乗員の様なある程度の語学力や海外渡航での知識も必要となります。 私の娘が小学生の時にお友達のお母さんに「お父さんは何している人なの?」って訊かれて「山に登っている人だよ…」と答えたら、「それは趣味でね、お仕事って言わないのよ。」と言われて複雑な面持ちで帰ってきたことがあります。その後、小さな娘には説明が難しいので、「旅行業のお仕事をしています。」と伝えるようにすれば良いと話していました。(実際に旅行会社を経営していたので間違いではないですが…) 娘が育ち中学生になった頃、私の仕事内容が段々と理解でき、人にも説明ができるようになると、面白いことに学校の提出書類の親の職業欄に「旅行業」と書かずに「国際山岳ガイド」とわざわざ書き込むようになったようです。 こ のようなところまで娘が説明できるようになっていたとは思えませんが、ある程度の社会的地位とガイドの存在意義、父に対する誇りを持ってたのかと思い少し嬉しくなりました。 ■バックナンバー ![]() ■著者紹介 近藤 謙司(こんどう けんじ) 1962年東京都生まれ。 1983年、今井通子が率いるエベレスト冬季北壁登山隊に参加し8,450mまで到達。 その後、ヨーロッパアルプスで山岳ガイドのほか、ヒマラヤなどの高所登山を行い、日本初のエベレスト公募登山隊を組織する。エベレストを7回登頂のほか、8000m峰は19回以上、マッターホルン80回以上、アイガー25回以上のガイド登山。2013年コジオスコ峰(2,228m)を登山し、七大陸最高峰をすべてガイドとして登頂した。 (株)アドベンチャーガイズ代表取締役、全国山の日協議会運営委員・山の日アンバサダー、国際山岳ガイド連盟公認国際山岳ガイド、日本山岳ガイド協会国際委員長、日本山岳会会員など。 |