第1回 「山岳ガイドはどこから来たの…」著者 近藤 謙司


 私の職業は“国際山岳ガイド”です。そもそも「山岳ガイド」ってどのような仕事をしているのでしょう?自然体験.comの読者のみなさんは不思議に思うのではないでしょうか。ここで私の職業と登山の歴史は、山岳ガイドと共にあると言っても過言ではありません。
 スイスのマッターホルン初登頂のエドワード・ウィンパー、アイガー東山稜初登頂の槙有恒、そしてヒマラヤの世界最高峰エベレスト初登頂のエドモント・ヒラリー。それらの偉業には全て山岳ガイドが関わっていました。

 ヨーロッパアルプスで始まった登山、競技スポーツにはない(人と競うわけではない)無償で無冠である“山に登るという行為”は「アルピニズム」と呼ばれるようになり、まるで哲学のようにもとらえられていました。その偉業を支えたのが、地元の案内人でもある山岳ガイドでありましたが、当時はその殆どの人が山岳地域を生業とする牧畜業や猟師、木こりや水晶採りなどの人たちで、職業として山を案内する人はまだいませんでした。

 スイス、オーストリーやドイツ、いわゆるドイツ語圏のアルプス諸国で生活をする民族の間では、牧草の茂った高層の牧草地を「アルプALP」と呼び、その上の岩と氷河の地域を「ベルグBERG」と呼んでいます。「ベルグ」は一般の人にとっては特別な地域で牧畜業の人も立ち入ることが滅多になく、水晶採りの人たちが入り込むだけでした。
その「べルグ」を“行く人”の事を「ベルグシュタイガーBergsteiger」と言い、日本語では「登山家」と訳され、「ベルグ」を“案内する人”の事を「ベルグフューラーBergführer」と言い、日本語では「山岳ガイド」と訳されます。

 ヨーロッパアルプスの「山岳ガイド」は、岩と氷河・雪の山を案内する人のことを差し、岩登りやロープワーク、アイゼン・ピッケルワークなど、その技術を磨きスキルを高めて、仲間を募り、職業としてのひとつの分野を築き上げてきたのです。それなので緑の草原や野山を案内する人は、山岳ガイドとは呼ばれないで「ワンダーフューラーWanderführer」と言い、英語では「マウンテンリーダー」「ハイキングガイド」と訳されて世界的にもその職業が存在しています。(つづく)



■バックナンバー
国際山岳ガイド近藤謙司のコラム 1

■著者紹介

近藤 謙司(こんどう けんじ)
1962年東京都生まれ。
1983年、今井通子が率いるエベレスト冬季北壁登山隊に参加し8,450mまで到達。
その後、ヨーロッパアルプスで山岳ガイドのほか、ヒマラヤなどの高所登山を行い、日本初のエベレスト公募登山隊を組織する。エベレストを7回登頂のほか、8000m峰は19回以上、マッターホルン80回以上、アイガー25回以上のガイド登山。2013年コジオスコ峰(2,228m)を登山し、七大陸最高峰をすべてガイドとして登頂した。
(株)アドベンチャーガイズ代表取締役、全国山の日協議会運営委員・山の日アンバサダー、国際山岳ガイド連盟公認国際山岳ガイド、日本山岳ガイド協会国際委員長、日本山岳会会員など。