![]() ![]() ![]() − 第805回 − 筆者 中村 達
『若者たちがヒマラヤを目指した時代』 先日、安藤百福センターで山岳団体の指導者研修会が行われ、偶然その場に居合わせた。その研修会の講義が終了後、講師にご挨拶をさせていただくと「中村さん、私、いまから46年前に、パキスタンのカラチでお会いしています」。続けて「そのとき、私は大学生で、大学の山岳会(山岳部のOB会)でカラコルムのリンク・サール遠征隊で来ていました。また、カラチからラワルピンディーまで一緒でした」 46年前と言えば、私が3度目のカラコルム登山隊に参加したときだった。記憶を辿っていくと、なんとなく蘇ってきた。ほぼ半世紀ぶりにお会いしたのは、何とも感慨深いものがあった。 その年はパキスタン政府から、カラコルム山域の登山許可を取得した登山隊が、大変多かった。私が知っていただけで40隊以上はあったと思う。当時、日本は高度経済成長期でもあり景気も悪くはなかった。私の隊で負担金がひとり100万円で、別途、個人装備費や個人的な費用は必要だったが、なんとか確保できた。そのとき「ケン&メリー」という自動車が人気で、遠征登山をとるか車をとるか、なんて冗談を言ったものだった。 ともかくその時代は未踏の高峰へ、より難しいルートへ、誰も登っていない岩壁へと挑む若者が多かった。 ![]() 当時、海外登山ともなると数ヶ月の期間が必要で、その間、勤務先を休むのは難しかったが、それでも何とかうまくやっていけた時代だったように思う。 海外登山の是非はともかくとして、社会に活力があって、前に前に進めた気がする。何とかなるみたいな感じだろうか。 また、登山だけでなく、アクティビティや目指す行為が違っていても、パイオニアワークのようなエネルギーが、社会に溢れていたような気がする。 古いと言われようが、やはり「青年は荒野を目指す」でなければ・・・。 (次回へつづく)
■バックナンバー ■筆者紹介 中村 達(なかむら とおる) 京都生まれ。アウトドアジャーナリスト・プロデューサー 安藤百福センター センター長、日本ロングトレイル協会代表理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問など。アウトドアジャーナリスト。 生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルム、ネパール、ニュージランド、ヨーロッパアルプスなど海外登山・ハイキング多数。日本山岳会会員 |