− 第596回 −  筆者 中村 達


『夏山を前にして』

 学生時代、この時期になると夏山合宿のことで、頭がいっぱいになった。高校3年のとき、ホームルームで担任が、受験の大事なこの時期に夏休みに山へ行く奴がいる、と名指しさえされなかったが、明らかに私のことだった。クラスで山岳部員は私だけだった。クラスの生徒が一斉に私を見た。
 それでもその夏は、富山県の有峰から入山し、薬師岳、スゴ乗越、五色が原、立山を縦走して剣沢に入った。剣沢で3日間ほど過ごして、その間雪上訓練や剣岳に登った。担任の教師からは、何も言われなかった。諦めてサジを投げたのかもしれない
 大学の山岳部でも夏山は、剣岳を起点に北アルプスを縦走して、穂高岳までというルートが多かった。当時京都からは、交通の便では北アルプスが便利だった。南アルプスや八ヶ岳は乗り換えがあって、不便だったように記憶している。積雪期や残雪期も北アルプスが多く、冬場は白馬周辺が多かった。だから、今でも北アルプスに、どうしても足が向く。
 学校を卒業してからは、学生時代のように長期間の山行はできなくなったが、梅雨入りのこの時期になると、今年はどこへ行こうかと考える。まずは北アルプスが頭に浮かぶ。若い時に歩いた、登った山々が、私のDNAに込まれているのだろうか。
 学生時代は5万分の1の地形図に、登ったルートを赤鉛筆でなぞって、赤線が増えていくのが楽しみだった。
 毎日のように山の店に通い、店主からいろいろと教えてもらい、装備品の品定めをしていた。山の用具は高価で、学生の身分ではなかなか手が出なかった。アルバイトと親を何とか説得して、ようやく手に入れた装備品も多かった。夏でもズボンはウールのニッカ―にロングソックスだった。現在のような高機能な素材は少なくて、網シャツに棉の古着を着ていた。夏前、大学生になって、はじめて自分のピッケルを手に入れた。イタリア製のグリーベルだった。大切にしていたが、カラコルムに出かけた折、どこかで失くしてしまった。そんな時代を、この時期になるといつも懐かしく思い出す。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
京都生まれ。アウトドアジャーナリスト・プロデューサー
安藤百福センター センター長、日本ロングトレイル協会代表理事、全国山の日協議会常務理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、全日本スキー連盟教育本部アドバイザーなど。アウトドアジャーナリスト。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルム、ネパール、ニュージランド、ヨーロッパアルプスなど海外登山・ハイキング多数。日本山岳会会員