− 第595回 −  筆者 中村 達


『鯉のぼり』

 かつて5月5日は子どもたち、なかでも男の子の健やかな成長を祈念する日だった。いまでは男女にかかわらず、子ども成長を祈る記念の日になったようだ。そして、かつては端午の節句には、鯉のぼりをあげる家庭が多かった。
 わたしの子どもの頃、京都の狭い自宅の坪庭に、父親が知り合いからもらってきた異様に大きな鯉のぼりをあげたことがあった。家屋とは不釣り合いな大きさに、少し恥ずかしかった。その鯉のぼりが強風に煽られてどこかへ飛んでしまい、家族総出で探しに出かけた。飛んで行った鯉のぼりは、近くの民家の塀か何かに引っ掛かっていたように思う。それ以来、揚げるのをやめてしまった。
 いまでも鯉のぼりを見ると、その情景を懐かしく思い出す。最近では鯉のぼりを揚げる家庭は少なくなった。その代わりと言っては何だが、何匹もの鯉を繋いだものを河川敷やダム湖などで見かけるようになった。

 連休のある日、そんな風景を見たくなって、とある里山に出かけた。そこではダム湖に数十匹の鯉を繋いで、湖岸から対岸までおよそ200mも渡している。暇を見つけては何度も足を運んだが、ここ数年はご無沙汰だった。
 ダム湖に近づくにつれ、なんだかワクワクしてきた。しかし、ダムの堰堤にあがっても鯉のぼりは見当たらなかった。もう一か所あったことを思い出し、車を走らせたがそこにも鯉の姿はなかった。
 ガッカリしてダム湖を離れて山裾の茶店に向かった。茶店のオバサンにそのことを話すと「もう出来る人がいなくてやめてしまった」、と返ってきた。ダム湖を横断するように並べられた鯉のぼりのさまは圧巻だった。その発案時は、地域の家々から鯉のぼりを集めて、みんなで頑張って力を合わせてダム湖に渡したそうだ。
 が、いまは過疎が進んで年寄りばかりになって、そんなことも出来なくなってしまった。オバサンは微笑みながらも寂しそうに言葉を繋いだ。街に出るにも車で片道30分はかかるし、移動売店もなくなり、病院も近辺にはない。畑はシカやイノシシにやられて、その対策が大変だという。地域には働く場所もないので、若い人たちは街へ出ると返ってこないそうだ。

 平成から令和に時代は移ったが、高齢化の波はより高くなるように思う。ただ、その地域も新たにキャンプ場などが整備され、自然を楽しむ数多くのファミリーの姿があった。少し、ホッとした気分になった。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
京都生まれ。アウトドアジャーナリスト・プロデューサー
安藤百福センター センター長、日本ロングトレイル協会代表理事、全国山の日協議会常務理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、全日本スキー連盟教育本部アドバイザーなど。アウトドアジャーナリスト。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルム、ネパール、ニュージランド、ヨーロッパアルプスなど海外登山・ハイキング多数。日本山岳会会員