− 第572回 −  筆者 中村 達


『台風21号の襲来』

 台風21号が大きな被害をもたらした。台風が自宅に最接近したのは、午後3時ごろだった。烈風が吹き、雨が横殴りにたたきつけて、何もかも打ちのめしているようだった。TVが刻々と情報を伝えてくれるので、非常にリアルに台風の状況がわかった。
 午後4時ごろに風が南東から南に変わった。その時、外でバリバリと大きな音がした。急いでドアの窓から外を覗くと、ガレージの屋根が飛ばされて無くなっていた。
 ポリカーボネイトの波板がスッポリとない。何かにぶつかると大変だと思い、回収しに外に出た。いくぶん風はおさまっていたが、電線が大きく揺れ、公園の木々は枝を左右に振っていた。道路にはちぎれた枝や葉っぱが散乱していた。路上で飛んでしまった屋根材を見つけ回収した。着ている服は、雨でずぶ濡れになった。

 ところで台風21号は、1961年の第二室戸台風と勢力、コースとも似ているという。第二室戸台風のことは大変よく覚えている。私が小学6年生の9月だった。確かこの年は台風が続いて、台風に対して強い恐怖心があった。第二室戸台風は、京都の自宅のすぐ近くを通過した。
 ガス会社に勤めていた父親は、台風の来襲に備えて、職場で待機しなければならないとかで帰宅しなかった。自宅には、祖母、母親と弟2人、それに近所の家族も集まった。この日、すでに停電でTVは映らないし、ラジオもうまく入らなかった。もちろんインターネットなどは想像もできなかった時代だ。避難の情報などを入手するすべはなかった。
 避難に備えて頭を保護するのに座布団を被った。弟が「戦争のときはこんなん?」と言った。台風は比叡山のあたりだろうか、猛烈な風と共に通過していった。

 私の記憶では家の倒壊に備えて、母親たちは避難しようとしていたと思う。しかし、冷静に考えれば、どこへ避難しようとしたのだろうか。当時、避難先は小学校だったと思うが、よくよく考えてみれば、小学校までは1km以上はあった。それに、その道程は吹きさらしのところや川もあって、とても安全とは言えなかった。
 結局、家は大きくい揺れ、屋根瓦が何枚か飛んだと思うが、他には大きな損壊もなく無事だった。が、この時の恐怖だけは、決して忘れることはできないでいる。
 どこへどのような経路で避難しようと考えていたのか、知りたいと思うのだが、母親たちはすでにこの世にはいない。

 21号台風で、家々のTVアンテナが倒れているのを見かけた。慌てて自宅の屋根を見上げるとアンテナがなかった。一瞬ドッキとしたが、光ケーブルに変えたときに、取り外してもらったことを思い出した。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
京都生まれ。アウトドアジャーナリスト・プロデューサー
安藤百福センター センター長、日本ロングトレイル協会代表理事、全国山の日協議会常務理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、全日本スキー連盟教育本部アドバイザーなど。アウトドアジャーナリスト。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルム、ネパール、ニュージランド、ヨーロッパアルプスなど海外登山・ハイキング多数。日本山岳会会員