- 第522回 -  筆者 中村 達


『残雪期の山』

 上越新幹線の車窓から、雪に覆われた北アルプスの北端の山々が春霞の中に見えた。ふと昔の春山山行のことを思い出した。
 大学一年生の4月、春山合宿で白馬岳に登った。馬尻でベースキャンプを設営して、そこを拠点に大雪渓、白馬岳主稜や杓子尾根などを登る春山山行だった。
 猿倉から残雪が数メートルはある中を、馬尻まで雪に足をとられながら這う這うの体で登った。当時の冬山用テントはナイロン製で、大きくかなり重かった。キスリングには入りきらず、背負子にキスリングとともにしばりつけて担いだ。時々、荷物と体重を支えた足が、重みで残雪の中にズボッと落ち込んでひっくり返った。重いキススリングを担いだまま起き上がるのは大変で、そのたびに体力を消耗した。

 半日ほどかけてようやく馬尻に着いた。残雪は多いところでは5mは優にあった。大雪渓からの雪崩を避けるために、小高い丘の上にベースキャンプを設営した。部員全員で肩を組んで、足で圧雪してテントサイトを作った。食料などは雪洞を掘って保管した。
 この時期、日中は暖かいが日が落ちると急激に気温が下がる。雪の上だけに夜間は氷点下になる。テントの中でホエブス(ガソリンコンロ)使って夕食を作り、8時ごろには消灯していた。

 夜間、「ドカーン」という大きな音が天幕を揺らした。目が覚めた。しばらくすると、ドッドーっという地鳴りのような音が聞こえた。驚いて天幕から顔を出してあたりを見回した。しかし、馬尻の周辺は真っ暗で何も見えなかった。そのあとは何事もなかったように、再び静寂が覆った。

 早朝、テントサイトから大雪渓を見ると、大雪渓を埋めるような真新しい雪崩の跡があった。無数の大きな雪の塊が広がっていた。
 この日は大雪渓を登らず、杓子尾根を辿って杓子岳と白馬岳の山頂を踏んで、大雪渓を下降した。上部は尻セードで、ジェットコースターのように滑って下りた。途中から雪崩の跡に突き当たり、真新しいデブリの上をかき分かるように歩いて下った。幅100m、長さは500mはあったように記憶している。こんな底雪崩に遭えば、ひとたまりもないと、この時初めてその怖さを思い知った。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
京都生まれ。アウトドアジャーナリスト・プロデューサー
安藤百福センター センター長、日本ロングトレイル協会代表理事、全国山の日協議会常務理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、全日本スキー連盟教育本部アドバイザーなど。アウトドアジャーナリスト。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルム、ネパール、ニュージランド、ヨーロッパアルプスなど海外登山・ハイキング多数。日本山岳会会員