- 第517回 -  筆者 中村 達


『スキーに行く』

 今シーズンはまだ一度も滑っていない。年末年始が雪不足だったので、やや諦めムードだった。
が、ここにきて豪雪で、なんとなくソワソワしてきた。仕事のやりくりをして、ウィークディの1日、滑りに出かけることにした。ただ、スキー用品やウェアなどを、物入れから引っ張り出して、一通りそろえるのが面倒だ。スキーにワックスをかけ、ビンディングを適正な強度にセットする。ブーツは温めながら足を入れて、フィット感を確かめなければならない。ヘルメットやゴーグルのチェックなどなど、それなりにすることは多い。これらの準備が楽しくもあり、面倒でもあるのが悩ましい。

 さて、私の自宅から最短のスキー場は、車で1時間30分ほどの距離にある。標高1000mほどの高さにあるゲレンデは、近畿圏では大きなスキー場で雪質もいい。いまは、ネットでゲレンデの様子や料金、設備などを事細かく知ることが出来るので、スキー場であたふたとすることは少なくなった。
 1970~80年代のスキーバブルの頃は、土日や祝日ともなると、びわ湖の西岸にあるスキー場に向かう車やバスで、国道は大渋滞が発生した。早朝に出発してもスキーを履いてゲレンデに立てるのはお昼、なんていうことはザラだった。また、帰りが凄かった。山上にあるゲレンデからは、ロープウェイやリフトを利用するのだが、順番待ちをするスキーヤーで長い渋滞ができた。整理券が発行されるようになって、イライラは少し落ち着いたが、2,3時間待ちは当たり前という状態だった。まだ、スノボーはほとんど知られなかった時代だった。私も知らなかった。

 ようやく山麓に下りることが出来ても、京都方面への道路は1本しかなく、びわ湖周辺にあった6、7のスキー場からのスキーヤーが集中するので、いつも大渋滞に見舞われた。大阪に到着したのが翌日、なんてこともあったと聞いた。

 こんな時代に、この地域のスキー場に、山仲間と冬山とスキーのトレーニングによく出かけた。ゲレンデから離れた森の中にテントを張って滑に行き、夜はテントの中で過ごした。渋滞を避け、リーズナブルにスキーをするにはこの方法が最適だと考えた。びわ湖を縁取るように街の灯りが点々と連なり、対岸には伊吹山スキー場の夜間照明が見えた。

 先日、知り合いのスキーショップの店長と話す機会があった。シーズン当初は雪不足で売れ行きはいま一つだったが、ここにきて雪が降って、お客がドーっと増えたそうだ。30~40歳代のファミリー層の動きがよくなったらしい。売り上げも昨年度を上回る見込みだという。
 もっともスキーバブルの頃は、1年間で販売されたスキー板が、200万台と言われたこともあった。『見栄講座』という本や、映画『わたしをスキーに連れてって』が流行った時代である。いまは、推定だがせいぜい数十万台のように思う。これが適正なのか少ないのか、・・・。
 それはともかく、明日は今シーズン初滑りである。うまく滑れるかどうか・・・。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
京都生まれ。アウトドアジャーナリスト・プロデューサー
安藤百福センター センター長、日本ロングトレイル協会代表理事、全国山の日協議会常務理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、全日本スキー連盟教育本部アドバイザーなど。アウトドアジャーナリスト。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルム、ネパール、ニュージランド、ヨーロッパアルプスなど海外登山・ハイキング多数。日本山岳会会員