- 第446回 -  筆者 中村 達


『雪山のお正月』

 40年以上も前のお話しだが、学生時代、年末は登山用具店でアルバイトをしていた。当時、日本は高度経済成長期で国民はこぞってレジャーを楽しみ、中でも登山とスキーは大ブレイクした。だから、アルバイトでも飛ぶように、面白いほど売れた。入荷したイタリア製の高価な登山靴も即完売で、老舗スイスブランドのピッケルもすぐに売り切れた。
 一方、スキー用具は板もブーツも売れに売れまくった。私でも年末だけで、数百セットは販売したように思う。そして、ビンディングの取り付け作業が深夜まで続いた。その店は京都のネオン街にあって、ときどき忘年会帰りの人たちが間違って入ってきた。

 アルバイトで稼いだお金は、年始年末の冬山行と登山道具代で、ほとんど消えてしまったように思う。山から下りてくると、そのままスキーというパターンも多かった。自宅に帰るころには正月の雰囲気は終わっていて、少し寂しい気がした。

 社会人になってからは、山でスキーというのが多く、もっぱら北アルプスとその山麓に出かけた。食料や燃料を担ぎ上げて、テントや山小屋に泊まった。周囲には誰もいないので、気ままに雪山の生活を楽しむことができた。
スキーで濡れてしまった衣類は、ヒュッテのストーブで乾かし、食料やお酒が底をつけば、麓の商店まで買い出しに出かけた。ただ、その当時は、リフトはシングルがほとんどで、スピードも遅く輸送能力は非常に低かった。リフト待ち1時間はザラで、いったん麓に下りると戻ってくるのに半日はつぶれるので、買い出し係に当たると大変だった。
 また、スキー場のレストランは混雑するので、ゲレンデ脇にテントを張って、昼食はそこで食べた。雪を融かしてチキンラーメンにもちを入れ、体が温まったことを憶えている。

 夕刻、吹雪の中をラッセルしながら、方向を見失わないようにして山小屋に戻ったこともあった。ストーブに火を入れ、小屋の周りの雪かきをして夕食の準備を終え、一息つくのに2時間ほど費やした。
深夜、小屋の外に出ると、吹雪は収まって満点の星が輝いていた。
そんな雪山のお正月を思いだした。

※画像はいずれもイメージです

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。