![]() ![]() ![]() - 第429回 - 筆者 中村 達
『パキスタン探検の旅のこと 最終回』 旅は途中、モヘンジョダロ遺跡などに立ち寄り、古都ラホールを経由してラワルピンディに入った。その距離はおよそ2000km。国道の脇にはイギリス統治時代の名残か、マイルストーンが規則正しく並んでいた。マイルストーンに刻まれた数字が、少なくなっていくのが嬉しかった。 ![]() また、旅の終盤、空路、カラコルム山中の街ギルギットにも出かけた。フレンドシップ機の主翼が、7000メートル級の山々をかすめるように飛んだ。ギルギットに滞在中、カラコルム峠を越えてやってきた、中国からの大規模な隊商に遭遇した。建設中のカラコルムハイウェイを通る交易が、このときまさに始まった。三蔵法師が歩いた道を、近年では大谷探検隊が踏破したルートを通過したのだろうか。 ギルギットからの帰路は天候が悪く、レストハウスで1週間近くフライト待ちが続いた。その間、イギリスから一人でやってきたバックパッカーや、フランス人トレッカーなどと、毎晩のようにパーティーを開いて楽しんだ。この時、私が歌ったのが、当時流行っていた「ブルーライト横浜」だった。 ![]() ![]() 見るもの、触れるもの、耳にするもの、味わうものすべてが初めての経験で、新鮮でもあり不安でもあったように思う。激しい下痢に襲われ、宿で寝ているだけという日々も何度か体験した。日本へ帰りたいと思ったことも数多くあったが、いまではいい思い出である。 ![]() 若い時の体験だったからだろうか、その体験が、私の考え方や行動にも少なからず影響を与えているようだ。若い時代にこそ、積極的に異文化に触れることが大切だと、いまになって思う。さまざまな国の人々と交流し、その土地の文化や歴史を知る機会をぜひとも持ってほしいと願う。 この旅で見た風景や光景、出会ったたくましく生きる誇り高い人々のことは、しっかり記憶の中にあり、いまなおリアルに蘇ってくる。(終) (次回へつづく)
■バックナンバー ■筆者紹介 中村 達(なかむら とおる) 1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー 安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。 生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。 |