- 第429回 -  筆者 中村 達


『パキスタン探検の旅のこと 最終回』

 旅は途中、モヘンジョダロ遺跡などに立ち寄り、古都ラホールを経由してラワルピンディに入った。その距離はおよそ2000km。国道の脇にはイギリス統治時代の名残か、マイルストーンが規則正しく並んでいた。マイルストーンに刻まれた数字が、少なくなっていくのが嬉しかった。

 タキシラ遺跡やペシャワールのミュージアム、それにアフガニスタンの国境であるカイバー峠も訪ねることができた。そして、この旅の目的地であるスワット州に入った。スワットコヒスタンと呼ばれるこの地域には、5,000~6,000m級の山塊が連なっている。45年前の当時は、未踏峰や地図上の空白部も多く残っていた。私たちは地元の人々の協力で氷河を詰め、5,000m級の山岳地域を、およそ一か月かけて踏査した。アレキサンダー大王が越えたという、雪と氷に覆われた峠にも登った。ただ、残念ながらこの地域は、いまは入域が禁止されているようだ。私たちが踏査した後、訪れた隊があったかどうかはわからない。

 また、旅の終盤、空路、カラコルム山中の街ギルギットにも出かけた。フレンドシップ機の主翼が、7000メートル級の山々をかすめるように飛んだ。ギルギットに滞在中、カラコルム峠を越えてやってきた、中国からの大規模な隊商に遭遇した。建設中のカラコルムハイウェイを通る交易が、このときまさに始まった。三蔵法師が歩いた道を、近年では大谷探検隊が踏破したルートを通過したのだろうか。
 ギルギットからの帰路は天候が悪く、レストハウスで1週間近くフライト待ちが続いた。その間、イギリスから一人でやってきたバックパッカーや、フランス人トレッカーなどと、毎晩のようにパーティーを開いて楽しんだ。この時、私が歌ったのが、当時流行っていた「ブルーライト横浜」だった。
 この旅はおよそ3か月で、パキスタンのカラチからほぼインダス川に沿って北上し、そこに住む人たちと交流しながら、ガンダーラ文明の遺跡を訪れ、カラコルム山脈西部のスワットコヒスタンの山々を踏査することができた。
 見るもの、触れるもの、耳にするもの、味わうものすべてが初めての経験で、新鮮でもあり不安でもあったように思う。激しい下痢に襲われ、宿で寝ているだけという日々も何度か体験した。日本へ帰りたいと思ったことも数多くあったが、いまではいい思い出である。

 その後、カラコルム登山で二度ほど同国を訪れたし、ネパールにもニュージーランドやヨーロッパの国々へも、トレッキングなどに出かけた。仕事の関係もあって、外国へは数えきれないぐらい訪れた。しかし、このパキスタンの旅は、あらゆる意味で体験の原点であったような気がする。振り返ってみれば、私にとってこの「パキスタン探検の旅」は何物にも代えがたい鮮烈な経験だった。

 若い時の体験だったからだろうか、その体験が、私の考え方や行動にも少なからず影響を与えているようだ。若い時代にこそ、積極的に異文化に触れることが大切だと、いまになって思う。さまざまな国の人々と交流し、その土地の文化や歴史を知る機会をぜひとも持ってほしいと願う。
 この旅で見た風景や光景、出会ったたくましく生きる誇り高い人々のことは、しっかり記憶の中にあり、いまなおリアルに蘇ってくる。(終)

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。