- 第426回 -  筆者 中村 達


『パキスタン探検の旅のこと 1』

 体験活動が必要である。やや意味不明の感もあるが、なんとなくわかるような気がする。あえて言うなら私にとっての体験活動、それも原点のひとつはパキスタンの探検だろう。ちょうど20歳になったばかりだった。高校時代の山岳部の顧問とその大学時代の後輩。それに、私の先輩を加えた4名というメンバーでパキスタンに向かった。
 1969年の春から夏にかけてのことだった。いまから45年前にさかのぼる。当時パキスタンはインドをはさんで東西に分かれていた。私たちが向かったのは西パキスタンで、北部にはカラコルム山脈がある。砂漠がいきなり隆起した急峻な山岳地帯で、世界第2の高峰K2が聳えている。東パキスタンは、その後独立してバングラディシュとなった。
 また、このカラコルム山域の東部地域は国境紛争が続き、複雑な政治情勢だった。これはいまも変わらない。一方、現在のパキスタンの西北部の国境地帯は、トライバルエリア(連邦直轄部族地域)と呼ばれ、独自の自治権が認められている。
 そして、何よりもガンダーラ文明発祥の地として知られ、世界中の考古学者や歴史学者、研究者、そして宗教家などの関心が高い地域である。そんなところに出かけることになった。

 私たちの目的は探検登山で、現地でうまく許可が取れれば、未踏峰の登頂をもくろんでいた。しかし、今思い起こせば、恥ずかしながらパキスタンやガンダーラ文明についての知識は、ほとんどなかったような気がする。
 数か月の滞在で強烈な経験をしたが、もっと勉強しておけばよかったのにと悔まれる。言語は都市部では英語も通じるが、ウルドゥー語が公用語だ。ろくに知識もなく、言葉も喋れないのに、よくも出かけたことだと呆れるばかりだ。しかし、この時の体験が、いまの私の原点になっている。思考や考え方、あるいは行動の基礎になったのではと、この年になって思うようになった。
 玄奘三蔵訳とされる般若心経に接するたびに、ふと思い浮かべるのが、ガンダーラの地と、そこに生きる誇り高い人々である。(つづく)

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。