- 第403回 -  筆者 中村 達


『はじめてのオーダー登山靴』

 この夏は暑かったので、近郊の山歩きはできなかった。秋になって過ごしやすくなれば、本格的に山やトレイルを歩こうと思う。
 登山靴やトレッキングシューズは、箱から出して風通しの良い乾燥したところに保管しているが、履く前に点検だけはしておく必要がある。時々点検はしているものの、この春、何足かのトレッキングシューズを処分しなければならなかった。経年劣化とプラスチックの加水分解で、靴そのものが壊れてしまっていた。
 最近のものは、メーカーは寿命を5~7年としているらしい。見た目は何ともないが、歩いているうちに壊れてしまうことがある。私も下山して、靴底がはがれていることに気がついた経験がある。山で靴が壊れたら命取りになりかねない。もったいないようだが、年数の経過した靴を履くのは危険だ。

 これまで数えきれないほどほどの登山靴や、トレッキングシューズを履いてきた。縦走用にはじまり高所用登山靴まで、何足履きつぶしたかわからない。しかし、高校生になってオーダーしてもらった登山靴の記憶は鮮明だ。その時代、50年もの昔のお話しだが、私の所属していた山岳部では、登山靴は自分の足に合ったものを、オーダーするのが伝統だった。登山用具店には登山靴も並んではいたが、種類や数は多くなかったように思う。

 山岳部の指定登山靴店の担当者が、大阪から京都の学校まで足型をとりに来てくれた。値段は12,000円だった。大学卒の初任給が3万円程度の時代だから、ずいぶん高価だった。なんだかよくわからないが、山岳部の信用で、3分割払いでオーダーした。のどかな時代だった。出来上がるまでに1か月ほどかかったように思う。

 大阪梅田まで、なぜか一番下の弟と一緒に、引き取りに出かけた。当時、阪急梅田駅は平屋建てで、狭いホームをたくさんの人たちが乗降していた。改札口で登山靴店の担当者と待ち合わせて、百貨店の喫茶室で登山靴を受け取った。私と弟はジュースをごちそうになった。
 黒革のピッカピカの登山靴が出来上がっていた。足にぴったりフィットした。

 土の上を歩くのがもったいなくて、自宅の階段を何度も登り下がりして、履き心地を確かめた。
 そして、夏山合宿まで毎週のように山に登って、靴を足に馴染ませた。合宿中の休息日にも、オイルを塗り込むなど手入れに余念がなかった。いつもピッカピッカだった。冬山やカラコルムの登山にも使った。ソールを何度か張り替えたが、5年間も酷使すれば、さすがに劣化が激しく、防水力もなくなってお役御免となった。この時代の革製登山靴は、ビムラムソールまで手縫いが多く、剥がれることは少なかったように思う。
 半世紀近くたったいまでも、この登山靴だけは記憶の中にある。登山靴のオーダーは、いまやほとんど見られなくなった。

(次回へつづく)


■バックナンバー

■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。