![]() ![]() ![]() - 第402回 - 筆者 中村 達
『初めての山登り』 初めて山らしい山へ登ったのは、小学6年生の夏休みだった。学習塾の先生に誘われて、比叡山を登った。京都の自宅の二階の窓からは、比叡山の優美な姿が見えた。毎日のように望遠鏡で山頂部を、飽きずにのぞいていた。 塾の先生は大柄で授業は厳しかったが、山のことになるとうって変わって、にこやかな顔になった。いま思い返せば、比叡山の登山では先生は、革製の黒い登山靴を履いていた。足首の部分に、耳のような折り返しがついていたように思う。大学時代は山岳部にでも入っていたのかもしれない。当時の私には、そんなことは想像だにできなかった。 それまで比叡山には、ケーブルカーとロープウェイを乗り継いで、山頂まで上がったことはあったが、歩いて登るのは初めてだった。もちろん山の道具など、持ってはいなかった。とりあえずリュックと帽子が必要ということで、赤いナップサックとチロリアンハットのようなものを買ってもらった。これだけで、山に登る気分になった。あとは普段着のままで、足元はズック靴だったように思う。 コースは白川から山中越えへの車道を歩き、温泉旅館の角から山道に入った。いまでもその温泉はあるようだ。細い山道を登った。やがて視界が開け、左側に京都市内が見えてきた。突然、牛と出くわした。もちろん綱はつけていたが、大きなこげ茶色の牛だった。驚いて、あわてて道をあけた。友達が私のナップサックを見て「赤いリュックは牛が怒る!」と心配したので、こちらまで怖くなった。闘牛で牛が赤い布に興奮すると、思い込んでいたからかも知れない。 牛が悠然とすれ違うのを、固唾をのんで見ていた。この時代、山間部ではまだ牛が山仕事の荷役を担っていたこともあった。 どこで昼食を食べたか、記憶はとんでいる。最後はショートカットして、踏み跡があるだけの急な斜面を登って、山頂の展望台へ上がった。比叡山の頂上は、滋賀県の大比叡(848.3m)と京都府の四明岳(838m)の二つのピークからなっているが、この日は、四明岳の山頂に立った。京都市内がよく見えた。毎日望遠鏡で見ていたので、自宅のあたりはよくわかった。先生の予想以上に登りに時間がかかったのか、下山はロープウェイとケーブルを乗り継いて、麓の八瀬へ降り立った。 帰宅して、二階の窓から登ってきた比叡山を眺めた。このとき山登りは面白いと思った。これが私にとって最初の登山だった。 (次回へつづく)
■バックナンバー ■筆者紹介 中村 達(なかむら とおる) 1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー 安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。 生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。 |