- 第366回 -  筆者 中村 達


『近頃の山岳遭難』

 知人の山岳ガイドから電話があった。とある沢へシャワークライミングに出かけ、滝をいくつか登ったところで、偶然にも遭難者を発見し救助したという。  10mほどの滝を直登して、ふと前方を見ると、若い女性が倒れるように横たわっていた。自殺者にでも出くわしたかと思ったそうだ。おずおずと近づいて声をかけると、返事が返ってきた。

 全身はかすり傷だらけだったが、元気だったので良かった。事情を聞いてみると、山頂から下山中に道を間違えて、逆方向の沢筋を下ったそうだ。何度も滝や斜面を滑り落ちて、ついに身動きが取れなくなった。動くと危ないので、救助が来るまで待っていようと、一晩、沢筋で過ごした。これは賢明だった。下手に下降すると、連続する滝から滑落する可能性もあった。ただ、予備の食料やエマージェンシーシート、防寒用の衣服も持っていなかったという。沢の水を飲んで耐えたが、真夏とはいえ夜の沢は気温が下がり寒かった。真夜中には、野生の鹿が目の前を通り、怖かったと語っていたそうだ。
 ただ、この沢は登山者も少なく、もし彼らがシャワークライミングを思い立たなければ、捜索は難しかったかもしれない。
 彼らは彼女を救助して、携帯電話が通じる尾根筋にエスケープした。シャワークライミングが救助活動に変わりましたと、電話の向こうで安堵の声が響いていた。本当に良かったと思う。

 この沢は、私も若い頃は何度か登った経験がある。滝が連続して、岩登りの技術が必要な難しい沢として知られている。地下足袋にわらじを履き、ヘルメットをかぶって、ザイルで確保しながら攀(よ)じったものだった。この山域には同じような沢がたくさんあり、どの沢も急峻で難しく、事故や遭難が多発している。

 レイチェル・カーソン研究家の上遠恵子さんが、「私たちの若い頃は遊びといえば、山登りくらいしかありませんでした」と私に語ってくださったことがあった。確かに昭和30年代、40年代といえば、この国は登山ブームで沸いていた。山は若者たちに格好の遊び場を提供していた時代である。
 一方で山岳遭難も多発して、大きな社会問題になっていたが、学校や職場でも山岳部やワンゲル部があって、社会的に登山を指導するシステムが構築されていたように思う。

 いま、この国は登山・アウトドアズがかつてないほどのブームである。山ガールムーブメントが若者たちに波及している。しかし、ファッションやスタイルが先行しがちで、登山技術や安全対策がおざなりになってはいないか。学校や社会的な登山の指導システムも不十分に思う。登山用具や衣類の機能性は、飛躍的に向上しているものの、山の危険度は少しも変わっていない。
 このコラムを書いている最中、奈良山中で中学校の山岳・アウトドア部10名の遭難騒ぎがあったが、無事に下山したとTVが報じていた。まずは、良かった。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。