![]() ![]() ![]() − 第341回 − 筆者 中村 達
『昔の山仲間と登る』 滋賀県と三重県の県境に鈴鹿山脈がある。標高千数百メートルそこそこの山地だが、山懐は深い。綿向山はそのほぼ南端に位置している。標高は1,110mで、登りやすく、眺望もすこぶるいい。 晩秋の綿向山は静かだった。ブナの葉が落ちて、樹林帯が透け、琵琶湖が見えた。この季節ならではの美しい風景だ。 この日のパーティは5人。いずれもいい年になったが、ずっと山登りを続けているので、歩くスピードは結構早い。いずれも、京都の社会人山岳会のメンバーだった。私はその山岳会が、ネパールヒマラヤの8,000m峰へ行くというので入会した。しかし、政府から登山許可が下りなかったので、すぐに退会してしまった。 その時代は、京都に限らず全国的に大学山岳部をはじめ、学校の山岳部、さらには社会人の山岳会が数多あった。社会人山岳会は京都だけでも、推定だが100団体以上はあったのではと思う。京都は特に登山が盛んで、多くの登山家を輩出している。少し自慢だが、私が所属していた高校の山岳部は、現役時代、部報の出来が良くて、『山と溪谷』の努力賞を2回も受賞した。顧問は有名登山家でもあった。 当時、遊びと言えば、山や野原の時代で、ゲームやパソコン、カラオケ、合コンなどもなかった。せいぜいパチンコやマージャンが、学生のお遊びだった。学校主催のスキーや登山も盛んだったが、自然体験という言葉はなかったように思う。もちろん、「OUTDOOR」という単語も、今日的な意味ではまったく知られていなかった。そんな言葉は不要だったのかもしれない。登山と野外活動の2つの単語で事足りたのだろう。 そんな時代の中で山を登っていただけに、山屋の仲間意識と絆はいまなお強い。40年ぶりに会った昔の山仲間も、会った瞬間に、その時代にプレイバックしてしまう。なんとも不思議なことだ。 いまさらでもないのだが、自然の中で遊んだ仲間の絆は強い。若いときにこそ自然体験がいる、などと妙に感じながら、ブナ落ち葉を踏みしめて下山した。 (次回へつづく)
■バックナンバー ■筆者紹介 中村 達(なかむら とおる) 1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー 安藤百福センター副センター長、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構代表理事、NPO法人自然体験活動推進協議会理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。 生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。 |