- 第306回 -  筆者 中村 達


『明日がある・・・か、スキーと若者たち』

 ようやく冬らしい寒さになって、東北や北海道にもまとまった雪が降り、スキー場関係者もホッと一息、というところだろう。それでも、全国的にはまだまだ雪不足で、スキーができないところが多い。
 昨年は不況の影響で、入りこみ客は20~30%も減少した。この減少傾向は、ほぼ10数年間続いたままで、下げ止まらない事態が続いている。理由は、このコラムでなんども述べたが、若者たちの雪離れの一言に尽きる。

 1963年にリリースされた「明日があるさ」(作詞青島幸夫、作曲中村八大)という曲がある。先日、FMで久しぶりに、懐かしく聞いた。この曲は坂本九さんが歌って、その後多くの歌手がカバーし、高校野球の入場行進にもつかわれた。
 この歌は、好きな女性に告白できない若者の心情を歌ったものだが、夢をもって生きる若者の姿が、聞く者を元気づけ大ヒットした。1963年といえば、翌年に東京オリンピックの開幕を控え、ようやく戦後を脱し、世の中は好景気に沸いていた。
 だから、若い人たちに夢があって、活力があった。1960年代はスキーが大衆レジャーとして普及しはじめた年代で、各地に続々とスキー場がオープンした。給料より高いスキー用品も売れに売れた。給料が安くても、「明日がある」から少々の無理をしても手に入れることができた。明日の昇給をだれもが疑わなかった。

 1970年代に入ると、輸入物のスキー用品やウェアが津波のように日本の市場に入り、国内メーカーもスキー景気に沸いた。この時代、私も冬になるボーナスの大半を、山とスキーにつぎ込んだ。それでも昇給やボーナスのアップが期待できる「明日がある」ので、無理ができた。多くの若者たちがそんな気分になって、スキーブームの一翼を担ったと思う。

 しかし、いまは若者たちの多くが派遣労働者や契約社員であって「明日がない」。未来に展望がもてないでいる。年収は200万円以下が大半といわれるこれらの若者たちが、スキーやスノボーに熱中できる状態にはない。大学生だって、3年生から就活に追われ、スキーやスノボーに熱中できる環境にはとてもない。就活にお金がかかるので、ウィンターレジャーなど行う余裕などない。

 先日、長野県のあるスキー場の関係者から電話があった。毎年のスキーヤーの入りこみ客の減少で、周辺の宿泊施設も廃業や休業が多いそうだ。多くのペンションや旅館も売りに出ている。リフトなどの索道業者も元気がなく、若者たちの雇用の場がないと嘆いていた。
 スキー場のある中山間地域では、他にこれっといった産業は少なく、温泉やスキーなどの観光に頼っているところが多い。しかし、その中核となっていたスキー自体が駄目では、地域が崩壊していく可能性だってある。

 明日の展望が見えない世の中だが、せめて雪だけはしっかり降って、スキー場を元気にしてほしいと願う。先日、信州のあるスキー場を訪ねた。ここは標高が高く人工雪を作っても融けないのでいち早くオープンし、ベテランのスキーヤーが訪れていた。その中で、九州からやってきた高校生の修学旅行の一団が雪と戯れていた。お揃いのスキーウェアにゼッケンをつけた彼らの姿を見て、スキー修学旅行が華やかなりし時代を思いだした。
 ただ、スキーは1日だけで、明日はディズニーランドへ行くのだそうだ。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構副代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。