- 第288回 -  筆者 中村 達


『外国へ向かわない若者たち』

 近頃の若者たちは、海外に出かけるのが億劫になっているという。また、外国の大学への留学希望者もかなり減少している。ある大学では留学支援の奨学金制度があるのに、利用率は3割程度だと、TVで報じていた。この国の若者たちは、いつ頃から内向きになってきたのだろう。日本がガラパゴス化しているのは、本当なのかも知れない。それに比べて、韓国や中国の若者たちの留学熱は、加熱しているそうだ。この違いは、やがて大きな国力の差となって跳ね返ってくるのではと、気になるところである。

 ずいぶん昔の話だが、私が初めて外国に出かけたのは20歳のときだった。いま思い起こしてみると、さしたる知識もなく、貧弱な語学力でパキスタン(当時は西パキスタン)のカラコルムに、探検と登山に出かけたものだ。大阪万博の前年で、国内は好景気に沸いていたが、渡航の自由化が始まったばかりで、外貨の持ち出しはわずか500ドルだった。40年前だとはいえ、わずか500ドルで3カ月も過ごせるわけはなく、日本円も持ち出したように思う。為替レートは1ドル360円時代だった。

 出発は大阪の伊丹空港からだった。着なれない背広とネクタイ姿で、大勢の見送りを背に受け、エプロンを歩いてタラップを登り、香港行きの日本航空便に搭乗した。途中、香港で1泊し、パキスタンのカラチ行きに乗り換えた。香港のショップで「How much?」と、おそるおそる話したのが、外国で使った、はじめての英語だった。

 カラチ空港が近くなり、窓から外を見ると、赤茶けた砂漠が広がっていた。JAL機が着陸し、ドアが開くと、いきなり熱風が機内に入ってきて汗が噴き出した。スチュワーデスのオネエサンが「気をつけて行ってらっしゃい!」は、いまもはっきり覚えている。

 裸電球の誘導燈に導かれて、ターミナルに入り、厳しい審査をうけた。質問の英語にまともに答えることができず、茫然としていた。登山用具や食糧品などを大量にもっていたので、通関にも随分時間がかかった。ともかく、なんとか入国でき、ようやくロビーに出ると、いきなり浮浪者に囲まれ、上着を四方からひっぱられた。盗られないように、バッグを抱えながら必死になって、迎えの車に乗り込んだ。
 ようやくホテルに入り、ベッドに横たわると、疲れと緊張が解き放たれて、そのまま寝入ってしまった。
翌朝、コーランの声で目を覚ました。窓の外を見ると砂漠が広がり。眼下にはラクダが悠然と歩いていた。
「本当にえらいとこに、来てしもうた!」と、思った。その後、これほどの衝撃的な経験したことがない。そしてイスラム文化と探検の旅は、とてつもないカルチャーショックを与えてくれた。このシュックが私の人生の原点になっていると、この年になって思う。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構副代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。