− 第277回 −  筆者 中村 達


『八甲田、山スキーの風景』

 スケジュールがうまく調整できたので、八甲田山にでかけてきた。かつて新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」をむさぼるように読み、映画「八甲田山」を何度も観ていたので、機会があれば一度は訪ねたいと思っていた。
 八甲田山は標高こそ1,300m余りと、決して高くはないが、東北地方でも豪雪地帯にあり、国内では有数の山岳スキーエリアとして知られている。樹氷の間を滑る6kmものダウンヒルに根強い人気がある。八甲田に出かけるからと、スキーショップで板のチュンナップをしてもらい、いそいそと出かけた。
 この日、八甲田山は快晴に恵まれた。山は春の日差しを浴びて気温もあがっていた。こんなに天気のいい日は珍しいと、地元の人が教えてくれた。八甲田山の山スキーは、ガイドのツアーに参加したほうがいいとされている。地形が複雑で距離も長く、一旦吹雪かれたら、それこそ死の彷徨になりかねない。スキー学校でガイドツアーに申し込むと、ビーコンを渡された。

 ロープウェイで山頂駅に着き一歩へ出ると、樹氷が巨大化した「モンスター」の群れが目に飛び込んできた。また、驚いたのはスキーヤーとボーダーの多さだった。ロープウェイの山頂駅付近は彼らで溢れていた。スキー不況と言われて久しいが、来るところにはスキーヤーは来るということだろうか。平日だというのに。

 私たちのツアーグループは15名ほどで、それにガイド1名と補助スタッフが2名ついた。メンバーは中高年者が中心。大半が常連客らしく、和気あいあいの雰囲気で、毎年のように八甲田山にやってきては、顔なじみのガイドと山スキーを楽しんでいるのだそうだ。中には近くの湯治場の自炊棟に長期間宿泊して、毎日のように八甲田で滑る元気な中高年もいると聞いた。ウェアもスキーファッションではなく、しっかりっしたアウトドア用のものを身につけ、パックを担いでいた。
 実は、何よりも驚いたのはスキーの板が違っていた。ガイドに引率され樹海の中を歩いている分には、さほど差はなかったが、一旦滑りはじめるとその差に愕然とさせられることになった。私がはいていた競技用のSLモデルとの違いを、まざまざと、見せつけられたのだ。

 言い訳だが、この朝、ガイドから「雪の状態が悪いのでコースを変更します」と説明があった。確かに板を浮かせて滑れるような雪質ではなかった。いわゆる重い雪だった。ところが、一旦滑り出すと、参加者たちはそんな雪質にもかかわらず、板を浮かせて、いとも簡単にシュプールを描いて降りていった。70歳前後の女性も、若い女性も、そして、とうに還暦を通過したと思われる男性も、である。
 それならばと、滑り出すと板がまったく浮いてこない。トップが沈んでいくばかりだ。パラレルなんてとても出来ない状態で、プルークで回転するのが関の山だった。一緒に出かけたスキー指導員のKさんも、同じような滑りをしているので内心ホッとした。Kさんもアルペンの板だった。樹氷の中をプルークターンばかりを繰り返していると、大腿筋が張ってきて、初心者の頃を思い出した。ようやく細かい回転ができるようになったのは、このツアーのゴール付近だった。
 雪質のせいにはしたくはないが、彼らがはいていたのは、ファットスキー (Fat Skis)だった。ほぼ全員がファットスキーだった。一般的なアルペンの板よりもセンター幅が広く、長さも短くて新雪などの非圧雪斜面が滑りやすいらしい。違いをまざまざと見せられて、しばらくショック状態だった。
 Kさんが、ファットスキーの威力は相当なものですよ。本当に簡単に浮くんですよ、と教えてくれた。Kさんはうっかりして、このファットスキーを持ってこなかったのを心底悔しがっていた。
 ともかく、屈辱的な八甲田の山スキーだった。帰宅してすぐにスキーショップに電話を入れた。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構副代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。